実写ドラマ 笑ゥせぇるすまん 「たのもしい顔」がひどかったという感想

笑ゥせぇるすまん

アマプラで配信中の実写ドラマ「笑ゥせぇるすまん」を見た感想です。

少し期待して視聴しましたが、案の定「ひどかった」という結論になっています。

ネタバレもあるのでご注意を。

原作での描かれ方について

まずは原作版及びアニメ版の「たのもしい顔」のあらすじをご紹介していきます。

この話は「笑ゥせぇるすまん アニメ版(1989年)」の第1話であり、記念すべきタイトルです。
(ちなみに原作の第1話は「ともだち屋」。)

お客様として現れるのは、周囲に頼られて辟易している頼母雄介(たのも ゆうすけ)。

彼は顔つきが立派過ぎるという理由で、周囲からは期待されることが多く悩んでいます。

そうしたプレッシャーに苛まれながらも、これまで懸命に耐えてきたのです。

しかし「本当は甘えたい」という渇望に対し、喪黒福造がその心の隙間を埋めようと提案。

最初は断る頼母でしたが、会社でも家庭でも相次ぐトラブルの相談に対し、ついに苛立ちがピークに。

そして、喪黒の案内した場所にいた女性「観音様」の元で全裸になって甘えまくると言うオチとなっています。

この「観音様」というのが恐ろしく描かれていると同時に、小さく腑抜けになって赤ちゃんのようになる頼母の姿は、視聴者に衝撃を与えたかと思います。

原作「笑ゥせぇるすまん」の魅力とは?

全体に言えることですが、笑ゥせぇるすまんの根底にあるのは、願望を満たせない人間の「悲哀」です。

今回の頼母の場合は、部長という肩書を持ち、良き父・良き夫であり、ハンサムで女性からモテるという理想的な人物です。

しかし、それはあくまで見せかけの人物像であり、本当は甘えたいけど甘えられないという現実に悩んでいます。

そうした悲哀に付け込み、「もし甘えたらどうなるか」という思考実験の結果が描かれるのです。

そして、欲望を満たされた彼は、家族のことなど忘れ、恍惚の表情を浮かべるのです。

見せつけられた妻と息子はさぞショックだったことでしょう。

が、そこにあるのは黒さだけではなく、どこか面白おかしいユーモアがあるのです。

もちろん、頼母以外の登場人物も同様であり「満たされないけど我慢している人」が大勢描かれます。

そんな我慢を解き放ち、欲望のままに生きたらどうなってしまうのか…?

理不尽なオチもありますが、欲望とは幸せにも不幸にもさせるという、どこか教訓のようなものも感じざるを得ないのです。

そのため、どの話においても常に緊張感があるため目が離せない展開の連続です。

加えて、最終的に何とも言えない感情を揺さぶってくる事こそが、笑ゥせぇるすまんの見所だと思います。

そして怖いオチも多いですが、たまにハッピーエンドがあるため、ワンパターンにならないのも非常に面白いポイント。

最初から欲望を持たない方が良いのかもしれませんが、かといって欲望を捨てる事が出来ないのは、まさに人間の悲哀としかいえません。

ドラマ版(アマプラ)との違い

そんな原作の面白さや魅力を期待し、意を決してアマプラ版のドラマ第1話を見ました。

しかし、残念ながら原作のような「笑ゥせぇるすまん」らしい要素はほとんど認められませんでした

そこには期待するような悲哀やユーモアの要素はなく、特に求めていないギャグのオンパレードでしかなかったです。

1話では、ただただ頼母が情けない奴でしかなく、最初から子供のような存在として描かれています。

無力で無知な存在として描かれ、終始「自力では何もできずにただ困っているだけ」であり、プレッシャーや葛藤などの人間味も非常に薄い。

そして1話を見終わったあと、激しい虚無感が押し寄せてきました。

あれ?

現実と理想のギャップに苦悩して、その弱みに付け込まれるという重要なドラマの要素は?

そんなものはなく、ただ薄っぺらいエピソードで20分もだらだらと消費するだけで終わりです。

ファンとして断言しますが、これは笑ゥせぇるすまんじゃありません。

というか、こんな出来であればドラマ化なんてしないで欲しかったです。

原作へのリスペクトを感じられなかったため1話で切るに至りました。

実写版がひどい点を列挙してみた

ほかにも実写版がひどいと思った点がいくつかあるので、列挙していきます。

そもそも頼母の描かれ方がひどい

原作の頼母は、周囲からの期待に応えるため、顔に見合うように努力してきた人物です。

だからこそ、「赤ちゃん返り」というギャップが面白いというのに、なぜ最初から赤ちゃんのような人間なのか?

最後に待ち構えているオチにつながる重要な要素が最初からぶち壊しです。

喪黒福造の登場シーンがひどい

一番肝心な喪黒福造の登場シーンも最悪でした。

なぜ洗面台の排水溝から顔を出していたのか…。

普通に不穏気に背後から忍び寄るとか、そういうのでいいのに。

インパクトはあったものの、「ああ、これはギャグでしかないんだ」という最悪な予感通りの展開となりました。

顔芸シーンがひどい

喪黒が頼母に対して表情のトレーニングを提案するのも助長的。

数分に渡って顔芸を披露しますが、これがくどくて仕方ありませんでした。

コントのワンシーンとしてなら良いのですが、笑ゥせぇるすまんでお笑いをやらないで欲しかったです。

オチが全然面白くない

最も致命的なのがオチです。

流石に原作のような表現は無理だと思っていたからこそ、どうなるかという期待はありました。

が、その期待を全然上回らないガッカリしたものとなっています。

例えば、笑ゥせぇるすまんに期待するのは「上げてから落とす事によるフリーフォールのような体験」です。

いい目に合っている人が調子に乗って「ドーン!」される瞬間もまた見所と言っても良いでしょう。

しかし、ドラマ版はストーリー展開に起伏がなかったため、そもそも盛り上がれる点が皆無なのです。

突っ張り稽古というのも意味が分からな過ぎて、改悪もいい所です。

普通に考えて、「力士に囲まれる=頼もしくて嬉しい」ってなりますかね??

何でわざわざ「笑ゥせぇるすまん」を題材にしてドラマ化したんですか…?

総評:笑ゥせぇるすまんじゃなければよかったのに

ちょっと笑えるところもあったのですが、「20分以上も引っ張った結果これはないだろ…」というのが総評です。

本来の笑ゥせぇるすまんで描かれる悲劇とは対極であり、本作は「ロバート秋山氏ファンのための喜劇」だったのでしょう。

最初から、キャストで判断するべきだったのでしょうが、原作ファンとしては1度は視聴せずにはいられなかったのです。

結果的にガッカリする事にはなりましたが、笑ゥせぇるすまんというタイトルを再び世に出してくれたことには感謝します。

改めて原作の素晴らしさを再認識できたのですから。

なので、このドラマは笑ゥせぇるすまんをパロディにしたコントとして見るのが正解かと思われます。

笑ゥせぇるすまんではなく、単なる「コメディドラマ」であれば面白いかもしれませんからね。

最後に

そもそも笑ゥせぇるすまんのドラマ版といえば、1999年に伊藤四郎氏が喪黒を演じられた作品があります。

当時僕は子供でしたが、おぼろげながら「ちょっと怖いけど面白かった」という記憶は残っています。

こちらの場合はコメディ色はなく、喪黒も不気味なキャラクターとして演じられていたので、原作へのリスペクトがあったと思われます。

残念な点を挙げるとすれば、現在どのサブスクでも配信されていない事です。

やはり不気味さがあってこその笑ゥせぇるすまんだと思うので、見るならやはり原作が一番でしょう。

また個人的には、どうせ見るならば2017年版の笑ゥせぇるすまんNEWをオススメしたいです。

これはこれで酷評もされがちですが、こちらも原作リスペクトを感じ、現代社会が反映された内容でもあったので良くできた作品だと思います。

旧作のような不穏さは薄れましたが、ポップながらも黒さがあり、ストーリーも普通に楽しめました。

ちなみに、1989年のアニメ版「頼もしい顔」はコチラから見れるので、よかったら見てみてください。

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