ジョジョリオンの感想です。
(筆者は20年前にジョジョを読み始め、1部~8部まで読破済み。)
連載中はつまらないと思っていましたが、完結まで読んでようやく面白い作品だと思ったというのが総評です。
また、過小評価されがちなラスボスについても語っていきます。
Contents
つまらないと思った理由について
ジョジョリオンは今でこそ評価はされていますが、連載当時はつまらないと言った意見も目立ちました。
僕自身もその口であり、当時は単行本を追って読んでいましたが、10巻辺りで読むのをやめてしまいました。
その理由は展開がとにかく遅すぎると感じてしまったからです。
というのもジョジョリオンは、第1巻から主人公・定助が記憶喪失の状態で始まり、さまざまなミステリーが展開されていきます。
定助の謎、東方家の謎、さらには謎の敵や味方など、謎が謎を呼んでいくのです。
本作のテーマはバトルよりもミステリー重視という事だったので、そこは全く問題ありません。
すぐに答えを出さずにヒントが小出しされていくのは、ストーリーとしては自然な流れとも言えます。
しかし、一番の問題はその謎が解けるのに時間がかかり過ぎたという事です。
定助の過去が明かされるのは、単行本で言えば12~13巻になってからであり、第1巻の発売日から約5年後に刊行されたことになります。
最初に提示された根本的な謎が延々と引っ張られる上、意味深なセリフは多くあれど、ミスリードとなるような伏線も多数あります。
その伏線が解決しないまま増え続ける一方で、大きな進展も迎えなる事もなく、「先の見えない物語」を追い続けるのは苦しいものだったのです。
しかも、最終巻27巻が出たのは2021年であり、完結まで約11年もかかる事となりました。
月1の連載なので仕方ないとはいえ、これほど長い年月を強いられるミステリーを追う方も結構精神力を使うのです。
(僕自身も追うのはやめ、完結するまでずっと待ってました。)
「結局あれは何だったんだ?」が多すぎる
ジョジョリオンは伏線と思わせながらも、結局何でもなかったという描写が多いです。
それが数個程度であれば「ジョジョならよくある事」で済まされます。
しかし、本作は過去作よりも多すぎますし、ミステリーという性質上、やたらと目についてしまうのが辛い所。
例えば、定助の記憶の男に始まり、存命時の吉良吉影の性格、初登場時の憲助の黒幕っぽさ、壁の目、宝石を持った男の子エトセトラエトセトラ…。
キャラの言動など、意味ありげなシーンが多々ありますが、それらは特に説明のないままスルーされ続けるのです。
カレラや夜露なども、明かされた過去と矛盾する言動も見受けられたりも。
最初こそ何かあると思ってワクワクはしますが、「結局何でもなかったんかい!!」とか「この発言おかしいくない?」という演出が多いせいで、肩透かしを食らうのです。
そのため、真面目に読もうと思っても「この演出や発言に特に意味はないかも…。」と思ってしまい、あまりセリフが頭に入ってこないようになります。
つまり「物語にちゃんと向き合うほどの見返り(面白さ)があるのか?」という疑問が頭をもたげてしまう事が、つまらない原因になるかと思うのです。
というか、これほど長い年月をかけた物語を懸命に読んでいるというのに、あァァァんまりだァァアァって感じになります。
全ての伏線回収を望むわけではありませせんが、そもそも最初から回収する気がないなら、余計な発言をすべてカットして欲しいと思いました。
どれが本筋で、どれがノイズなのかを見分けるのが面倒になった読者は_そのうち、考えるのをやめた。
一般におけるミステリーのような考察を楽しむ余地はなく、「いいから早く話を進めてくれ!!」という一言に尽きるのです。
ちなみに、読破後に読み返してみると、よりキャラの言動が過去と不一致だったことが際立つので、自分の妄想で補完するしかないというのが現状です。
中盤からのテンポについて
ただ、定助の過去が明らかになってからは、ミステリー要素はほぼなくなります。
過去を掘り下げるのは終わり、14巻以降はようやく未来へと話が進んでいくのです。
そのおかげで伏線やモヤモヤに悩まされることもなく、「面白い展開」となっていきました。
最初からミステリーなんていらんかったんや!!
さらに「豆鉄礼(まめずく らい)」という頼れる相棒キャラも登場し、共に強敵に立ち向かうバトルはかなり熱いものがあります。
なので、ジョジョリオンは14巻からが本番と言っても過言ではないでしょう。
強いて不満点を挙げるとすれば、黒幕が曖昧なまま進むこと位でしょうか。
しかし、「岩人間」という存在が明確な敵として描かれているので、展開的には非常に分かりやすいです。
さらに、東方家の長男である「常敏」とその息子「つるぎ」も新ロカカカを狙います。
つまり、三つ巴の争いに発展するため、普通に読み進めたくなるストーリー展開なのです。
もちろん、これは僕が完結した後単行本を一気読みしたから言えることなのかもしれません。
実際、岩人間との戦いがかなり重たい上、ほぼ定助がメインになるので絵面にあまり変化が見られなかったり。
あくまで、物語が分かりやすくなっていくという意味での面白さは、中盤からが本番です。
ラスボス戦は読みごたえ抜群
中盤以降は、流れるようにラスボス戦に移っていくため、一気に完結へと向かいます。
ラスボス戦である「ザ・ワンダー・オブ・ユー」の開始が21巻からですが、最終巻である27巻までずっと続くのです。
当初はラスボスの正体も不明であり、スタンド能力の謎も多く、まさかのミステリー要素が再びという所。
しかし、これこそがスタンドバトルの真骨頂であると言っても過言ではなく、相当な読みごたえがあります。
また、東方家の思惑も交差し、手に汗握る展開が押し寄せていきます。
あまりにも強すぎるラスボスをどうやって倒すのか!?
そして、物語はどのような結末を迎えるのか!?
【警告!!】以下はネタバレも触れるので、未読の方はぜひ本編を読んでみてください!
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透龍は過小評価されている?
では、ここから結末やラスボスについてどんどんネタバレありで書いていきましょう。
ラスボスとして登場するのは、岩人間の「透龍(とおる)」くん。
彼はポッと出だったり、「金儲けが目的」という理由で小物扱いされるなど、過小評価されがち。
しかし、彼はもっと語られるべきキャラであると思いますので、掘り下げていきたいと思います。
透龍というキャラクターについて
まず、彼のスタンドは過去最強ともいわれるほどであり、新ロカカカという死を超越するアイテムをも手中に収めようとしています。
つまり、「世界は透龍によって支配される」というレベルであり、ぶっちぎりのヤバい奴である事は明白です。
が、本人は岩人間であるがゆえ表立った行動はせず、あくまで人間社会に寄生する事が生物としての生き方なのです。
つまり、この世を支配する力はあっても「人間に寄生しないと生きていけない」という弱さこそが最大の特徴なのです。
「強い力を持ちながら、実は静かに生きたい」というのは4部の吉良吉影にも近い発想と言えます。
その上でラスボスとしての魅力を感じにくいのは、「無事がなにより」という、かなり保守的なスタンスのせいかもしれません。
スタンドも自分から攻撃できないという、攻めの姿勢がほとんどないからこそ、「ラスボス」としての威厳を損なっている要因かと思われます。
しかし、新ロカカカによって「生命の在り方を覆す」という恐ろしい事を平然とやってのけていると考えれば、ラスボスとして相応しい脅威を持っています。
透龍との因縁の薄さ
とはいえ、定助との因縁がそこまで深く描かれていない事も、ラスボス感の薄さに繋がっているかもしれません。
第一部からのディオとの因縁に始まり、「主人公が宿敵を倒す理由」があるからこそ、これまでの物語は盛り上がりを見せました。
ジョジョリオンの場合、定助にとっては「脅威を止める」という大義よりも、「新ロカカカを取り戻してホリーを救う事」が目的となっています。
つまり、定助にとって透龍は宿敵というよりも、ただの降りかかる火の粉のように見えてしまうわけです。
(実際、定助が戦うのは透龍本体というよりも、災厄そのものが相手ですからね。)
もちろん、ホリーに人体実験を施したのが透龍を始めとした岩人間なので、因果関係としては成立します。
しかし、当初は「明負悟」がラスボスのように描かれた事で、そちらの因果関係の方が強調されてしまっているのです。
後に透龍が真のボスだと明かされますが、明負悟との因縁の方が深かったので、ラスボス感が薄れたのではないかと思われます。
しかも、直接的には吉良との因縁であり、定助はあくまで自分のアイデンティティのために、吉良たちの思いを引き継いだに過ぎないのです。
「新しいタイプ」…「新しいタイプのラスボス」・・・
加えて、透龍は人間ではないからこそ共感しにくい部分が災いしているかもしれません。
4部吉良もそうですが、DIOやディアボロには「人間っぽさ」があったからこそ受け入れる余地があるのです。
一方、人間とは異なる思想や生態である岩人間に対して、共感できるようなことはほとんどありません。
そもそも岩人間とは、カーズのような「柱の男」に当たる存在です。
カーズの場合は「生物の頂点に立つ」という分かりやすい目的があったため、「倒すべき敵」として容易に認定できます。
しかし、透龍はトップに立つことは望まないうえ、あくまで「人間社会がベース」なのです。
その点は4部吉良と共通しますが、決定的に違うのは、スケールの大きさや「人間ではない」という事です。
そのため、歴代ボスとの比較はおろか、その尺度を測れないからこそ「魅力に気づけないだけ」だと僕は解釈しています。
つまり、透龍の最大の魅力と特徴は「これまでのジョジョに全くいなかった新しいタイプのラスボス」である事に尽きるのです。
そんな奇妙で受け入れがたい存在だからこそ、最後で人間のような「思い出」という感傷を見せるシーンが引き立つのです。
ジョジョリオンはジョジョである!
ジョジョリオンはこれまでのジョジョとは違うテイストである事が、本作の評価を下げる要因でした。
しかし、これまでのジョジョの世界を引き継いでいるので、むしろファンが読まなきゃ誰が読むのか、という展開が多いです。
特に後半の定助の「回転するシャボン玉」についてです。
これはSBRにおける、ジョニィ・ジョースターの遺した「回転」という技術が、時を経て「定助」へと受け継がれています。
その回転の技術はもともとツェペリ家のモノであり、ジャイロからジョニィへと引き継がれたと考えれば、より感動を覚えるでしょう。
しかも、シャボン玉と言えば第2部のシーザーであり、ジャイロの本名もまた「シーザー」であるという長きに渡る繋がりを感じられます。
さらに吉良吉影も家族や友達思いの熱い男として生まれ変わり、ジョースターの血脈へと融合されたことも能力開花のきっかけとなっているのです。
ファンだからこその得られる感動といえるでしょう。
「ジョジョの奇妙な冒険」が築いてきた未来への遺産は、形を変えても続いていくことが、「言葉ではなく心で理解」できます。
肝心な部分では筋が通っている!
多少の矛盾点や消化不良な点はありますが、「呪いを解く物語」というテーマは一貫してぶれていないため「納得」は出来るのです。
「面白い」か「つまらない」か、それを判断するには「納得」が必要じゃあないでしょうかね?
「このキャラの言動がおかしい」と指摘する事はいくらでも出来ますが、ストーリーは一本の筋が通っているので、終わり良ければ総て良しだと僕は思います。
ちなみに、定助の「ゴービヨンド」に関しては、こじ付けで生まれたものでは決してありません。
アーバン・ゲリラ戦後に豆鉄が、定助のシャボン玉が「1本の線が高速回転している事」に気づくという描写はなされていたのです。
細かい所はともかく、そういった重要な部分は外しておらず、大部分の完成度は高いとみていいのではないでしょうか。
よって、最後まで読むと非常に面白い作品であり、ずっと待っていた甲斐がありました。
ただ、ラストシーンについていくつか気になる点があるので、そちらをご紹介して終わりたいと思います。
ラストについて① 新ロカカカでホリーは救えたか?
定助は自分の過去を知った後、ホリーを助けるという目的にシフトします。
その助け方は「新ロカカカを使う」と言う事なのですが、これはデメリットが多すぎるのです。
というのも、ロカカカ及び新ロカカカの原則は「等価交換」です。
通常のロカカカであれば、自分の体の悪い部位を治す代わりに、健康な部分を犠牲にしなければなりません。
新ロカカカの場合は、「相手の肉体」を犠牲にする事で、自身の健康はもちろん、寿命すらも獲得できるという代物です。
ここで疑問が1つ。
定助は新ロカカカで「何を犠牲にする事で、ホリーを助けようとしたのか」という疑問です。
定助は他人を犠牲にしてまで救おうとはしないでしょう。
とはいえ、自分の命を犠牲にする事を考えていたのかも不明です。
もしくは岩人間を生贄にする形になると思われましたが、それはホリーではなく「東方つるぎ」によって果たされることになったのです。
結局はホリーを真の意味で助ける事は出来なかったという歯切れの悪い結末となりました。
が、ホリー自身も他人を犠牲にしてまで助かろうとはしなかったはずなので、「彼女自身の選択」として見れば納得がいく部分はあります。
また、定助が元凶を断ったという意味では、彼女たちをある意味救ったのではないかという見方も出来なくもないです。
定助は「過去という名の呪い」を断つことで、ホリーとはまた別の向き合い方をしていく形になったのでしょう。
さらにいえば、そもそもジョジョは1部や6部でもそうですが、完璧なハッピーエンドが描かれる物語ではないのかもしれません。
SBRのジョニィも自身を犠牲にしたわけであり、主人公たちの辿る結末は生きる事がすべてではありません。
良いとか悪いという安易な答えではなく、ただホリーの病気は受け入れる事しか出来ないのです。
そうした余韻を残すという意味では、ジョジョらしい終わり方だったのかもしれません。
ラストについて② ケーキを選べよ ひとつ
さらに余韻を残す要素となったのが、定助がケーキを選ぶというラストシーンです。
これは主人公が「定助」として周囲から受け入れられ、「東方家」の家族として迎え入れられる象徴的な場面です。
最初は何者かもわからず、養家でも腫物扱いだった定助。
その過去を知ってからは、仗世文と吉良の想いを引き継ぐ存在になりました。
しかし、定助はその2人とも全く違う人格を持つ、「別の人間」なのです。
そこには過去に捉われるという「呪い」ではなく「定助」という人間として歩み始めるシーンが描かれました。
ちなみに、あれだけ定助を毛嫌いしていた常秀も、このシーンのためだけに絶対必要不可欠な人物だったと言えます。
(後悔しながらも康穂も救ったりしているので、何気に活躍している重要キャラです。)
家族たちは泣き、多くを語る事はしませんでしたが、これから未来に向けて再出発するという希望のあるラストがそこにはあったのです。
ジョジョリオンについて 最後に
思えばジョジョリオンは新しい事、新しい展開の連続でした。
これまでバトル描写がメインでしたが、それだけじゃない事を読者に届けようとしたスゴみは感じられました。
「動かない」シリーズで培われたミステリーが、ジョジョリオンという作品にも生かされたのかもしれません。
それが合う合わないという賛否はありますが、ラストまで読むことで「こういう話だったのか」という納得や理解は得られると思います。
最初はよく分からなくても、何回か読み直す事で、描きたかったことへの理解が深まるという味わい深い作品だと感じます。
ただし、全体的に爽快感というよりも、陰鬱で暗めな展開も多かったので、読み返すのはやや辛い所。
それだけに「越えていける」という最後のメッセージはすべてのモヤモヤが晴れ、痺れるものがあるのです。
そして、この物語はそれぞれの「想い出」となり、新たな夢「ジョジョランズ」へと続くッ!
ジョジョリオンは賛否はあっても、見届けるだけの価値はあると思うで、未読の方はぜひ読んでみて欲しいです。
無料試し読み⇒ジョジョの奇妙な冒険 第8部 ジョジョリオン