今回のテーマは、漫画やアニメにおける「異世界転生モノ」が増え続けている問題です。
僕はwebサイトの漫画広告で、何度も何度も「異世界なんちゃら」と表示されまくりの現状があります。
ラノベとかはどうでもいいのですが、わざわざコミカライズした広告を見せ続けられるのは苦痛なのです。
(もしこのブログにも表示されていたら本当にゴメンナサイ)
また、アニメも転生系が多く「またかよ」って感じです。
「異世界」という字面を見るだけで切るに至ってます。
しかし、ただ嫌悪して文句を言うだけでも仕方がありません。
そこで、今回は視点をズラし「なぜ異世界転生モノが増え続けているのか?」という考察をしていきたいと思います。
Contents
結論:売れているからしゃーない
結論から言うと、増えていようが少なかろうが、世間様が認めていることには変わらないという事です。
なぜなら「売れている」から。
結局は「売れれば正義」であり、「売れていれば面白い」ってことなんです。
「コーラとハンバーガーが世界で一番売れているから、世界で一番美味いんだ」という理論と同じです。

もちろん、この理論が100%正しいとは思っていません。
しかし、そもそも売れないようなものに、バンバン広告を打つわけがないのです。
売れるという見込みがあり、売れているという事実があるからこそ、こうして「異世界モノ」が僕の日常の中にも侵食していると言っても過言ではないでしょう。
それに対し、僕のようなマイノリティがあれこれ言ったところで、雑音にしかならないのです。
というわけで、ここから下記の文章は「雑音」としてお読みいただければ幸いです。
そもそも本当に異世界モノは多いのか?
さて、ここからが本題の「異世界モノが多すぎる理由」の考察を始めさせていただきます。
まずは、そもそも「異世界モノ」は本当に多いのかのソースを2つ提示します。
1つ目に参照になるのはコチラです。⇒異世界召喚・転移・転生ファンタジー小説の歴史
上記のサイトを見る限り、2010年代初頭から一気に増えたとみてとる事が出来ます。
また、2つ目はこちらです⇒流行りの「異世界転生モノ」は一体何作品くらいある?)
2017年度の「小説家になろう」における「異世界」を題材にした小説数は「81,264件」だったらしいです。
それから5年後の2023年1月における数は「170,638件」となりました。(僕調べ)
つまり、6年間で8万作品以上増えたことになります。
単純計算で、年間1万5千作品も増えている事になります。
これがどういう数字なのか。
総務省統計局によると、令和2年の総出版数は「68608冊」との事。
そのうち、小説の含まれるであろう「文学」は12,104点。
なろう系の「異世界モノ」は、日本の文学を軽く上回る勢いだった…!?
ちなみに、なろう全体で100万件近くあるうちの17%を「異世界」が占めています。
メジャーなキーワードであろう「SF」は21,502件(約2%)。
異世界も含む「ファンタジー」ですら、98,652作(10%)。
「恋愛」も一歩及ばず114,349件(約11%)という結果でした。
※いずれも2023年1月10日の計測によるもの。
よって「異世界ものが多すぎる!」と文句は容認されてもいいのではないでしょうか。
じゃあなんで売れてるのって話
そう考えると、1つの疑問が浮かびます。
多すぎるのにもかかわらず、なぜ未だに書かれ続けるのかという疑問です。
それは恐らく、恋愛、スポーツ、バトルのように、「異世界」として1つのジャンルが確立されてしまったからではないでしょうか。
例えば、一口に「スポーツ漫画」といっても、それもまた多く出回っています。
バトル漫画も、恋愛漫画も、日常系漫画もそうですね。
そして、それは「異世界モノ」においても同じことが言えると思われます。
つまり「異世界モノが多すぎる」という指摘は、「スポーツ作品が多すぎる」といっているのとあまり変わらないという事です。
すると、世間様からは「スポーツ作品は良いのに、なぜ異世界はダメなんだ?」という反論を受けてしまう事になります。
僕はその反論に対する反論が思い浮かばなかったので、残念ながら「異世界モノ」を認めざるを得なくなりました。
よって「異世界モノが多すぎる」という文句を垂れたところで、「そうです」と言われて終了になってしまうというわけです。
ニーズの細分化は本当かも
では、なぜSFや恋愛よりも「異世界モノ」が盛んに創作されているのでしょうか?
そこでふと思い出したのは、ニュースなんかで聞いた「個人の趣味が細分化している」という言葉です。
異世界モノが蔓延する現状を見ると、それに合わせるかのように「限定的なマーケティング」が盛んにおこなわれているという事を実感します。
というのも、これまでの「マスマーケティング」では、「万人向けの商品やサービスの提供」がセオリーでした。
しかし、現代では「マーケットセグメンテーション」という手法が使われるようになっています。
簡単に言えば、個人の趣味に合わせるように「こういう人に刺さればいい!」という売り方の事です。
するとどうなるか?
異世界モノにも、個人の細かいニーズに合わせた作品展開がなされていると言えるのです。
あとは「数うちゃ当たる的」に大量生産がされ続けば、いつかは「面白いと思える異世界モノ」に出会えるかもしれませんね。
現状、異世界モノが増え続けているのは、そういう理由かと。
そして、これだけゴリ押しされてしまえば「異世界モノ」というジャンルに興味がなくても、嫌でも目に付くというわけです。
なぜ「異世界モノ」でないといけないのか?
しかし、です。
「細分化」ができるなら、別に「異世界モノじゃなくてもいいじゃん」という話にもなります。
SF然り、恋愛然り、いくらでも「細分化出来るジャンル」はあると思います。
ではなぜ、「異世界モノ」に限ってなぜ作品数が多いのでしょうか?
そこで「異世界もの」が描かれやすいカラクリについても考察していきたいと思います。
「世界」で差別化を図るはずが…
元来の「異世界モノ」においては、「どんな世界を作るか」がもっとも大きな差別化要素でした。
例えば「古事記」は唯一無二の世界観をもった物語です。
「エジプト神話」や「ギリシア神話」なども、これらもまた比べようもないほどの「独自性」を持っています。
旧来においては、いかに「独自の世界観」を築くかを前提として「異世界モノ」は成り立っているのです。
ところが、昨今の「異世界モノ」はまた事情が変わってきました。
例えば、昨今の異世界モノの場合は「ナーロッパ」と言う言葉に見られるように「フワッとした共通の世界観」で成り立っていたりします。
そこで主人公を無双させたり、ハーレムにさせたり、スローライフを送らせればOKみたいな感じでしょうか。
つまり、多数の作品があるにもかかわらず「世界観はおろか、ストーリーも被りまくっている事が前提」なのです。
では、どうやって他の作品との違いを見出すのか?
それはずばり「キャラクターの設定」です。
言ってしまえば、同じような展開だとしても「主人公が違うから」という差別化だけで成り立ってしまうのです。
これが昨今における「異世界モノ」の細分化に大きく貢献していると言ってもいいでしょう。
キャラクターのみに頼るという事
実際に、異世界モノは、驚くほどテンプレ要素で成り立っているのも大きなポイントです。
特に導入部分がそうです。
元々○○をしていた主人公が突然事故に遭い異世界に転生する。
元々○○をしていた主人公が突然異世界に召喚される。
元々○○をしていた主人公が突然異世界に転移される。
以上。
あとは主人公が持つ才能や技術であったり、新たに獲得した能力をふんだんに使えばいいというテンプレ構成で成り立っています。
(もしこれに異議がある方はご教授ください。)
そして、そのテンプレの中で唯一差別化が出来る点こそが、「元○○の主人公」の部分だけなのです。
つまり、「同じ世界に違う人間を行かせたらどうなるか?」という実験がひたすら行われているだけなのです。
その中から「自分好みの主人公がいる」を探し出すことが、ユーザーにとっての「差別化」になるわけです。
これこそが「細分化の極み」と言ってもいいでしょう。
あとは可愛くて都合の良い「ヒロイン」を添え物にすれば完璧ですね。
ユーザーにとっての利便性
さて、こういった売り方は、見かたを変えればユーザーを舐めているような展開にも見えます。
しかし、そういった風潮は、意外にも受け入れられています。
なぜならユーザーとしても「面倒なことは良いから、お手軽に欲求を満たしたい」というのが原動力だったりするからです。
そういうユーザーにとっては「自分好みのキャラだなぁ~」とすぐに分からせれば、それで十分なのです。
そして、この「すぐに分からせるか」がユーザーを唯一つなぎとめる手段になります。
なぜなら異世界モノだけでも大量にあふれているため、分かりにくいものは拒絶され、選び取ってもらえなくなるからです。
そのためにも「ストーリーも世界観もほぼ同一」である方が尚更分かりやすくなるため、尖ったものは作られにくいと言えるでしょう。
よって、「異世界モノ」において最も競争が進んでいるのは、いかに最速で「主人公のキャラを分からせるか」に尽きるのです。
一方、ユーザー側にとってもそれは同様であり、いかいに可愛いヒロイン&感情移入できそうな主人公がいるかにアンテナを張っている事でしょう。
こうして、今日の「異世界市場」の均衡は保たれていると言えるのです。(QED)
キャラクターの差別化について

ただ、これは別に異世界モノに限った話でもありません。
例えばソシャゲなんかでも、美麗なキャラクターを前面に出されたCMが多数です。
そのキャラに興味さえ持たせれば、プレイする人が増えるわけで、ストーリーとかは二の次ではないでしょうか。
恋愛ゲームもそうですが、支配欲などの様々な欲求を満たす道具として「キャラクター作り」が出来ていれば、後はオマケみたいなものだと僕は思います。
正直、ストーリーとかよりも、キャラクターを道具や役割として愛でられていれば、一定の満足感は得られるのです。
また、アイドルビジネスも似たようなものを感じますが、アイドルに興味がない人間からすれば「みんな一緒」です。
しかし、アイドル好きにとっては「キャラクター」の見分け方が出来ているため、素人よりも見る目が大きく異なっている事が考えられます。
得てして「興味のないジャンルは全部同じに見える」ものであり、「異世界モノに細分化なんてないでしょ?」という指摘は間違っている可能性があるというわけです。
キャラを愛でる文化
また、異世界モノと同様に「○○さんは○○したい」系漫画も増えたような気がします。
1つの愛されそうな偶像を作り、それを取り巻く環境を用意するだけで、なんと漫画として成立してしまうのです。
ゆえに、量産型漫画だとしても「キャラクター」の差別化が出来ていれば、それなりに成り立つのです。
こうした環境の中では、みんな「いかにユーザーの性癖や好みに刺さるキャラクターを生み出せるか」という事でしのぎを削っているといえるでしょう。
つまり男性が「好きな○○女優」を語るのと同じで、キャラクターを前面に推すのは「性癖市場」なんです。
そして、それはロードオブザリングや、クトゥルフ神話のようなガチ勢作者による緻密に作りこまれた世界は、今の世間からは求められていないという事の証明でもあります。
(まぁ、これは日本発祥の文学ではないですが。)
もちろん、あらゆる作品においてキャラクターの差別化やビジュアルにこだわるのは至極当然です。
僕も「キャラクターの魅力」というのは大切になると思います。
だだ「キャラクターだけ」で終わってしまうのか否かで、天と地との差があるという事です。
読んでないのに文句を言う人間が増える理由
裏を返せば、僕のように「テンプレ話に興味がない層」であったり「キャラクター以外にも面白さを求めている層」には「異世界モノ」は刺さらないというわけです。
僕としては、最初のうちは興味がないので「へーそういうジャンルもあるんだね。」という非常に穏やかな気持ちでいました。
しかし、何年にもわたって続くweb広告の「ゴリ押し宣伝」の結果、徐々に僕は嫌悪感を抱くようになったのです。
「読んでから批判しろ!」とか「他にも面白いコンテンツはあるでしょ!」という話ではないのです。
例えば、一般の漫画の広告なら、その都度「内容も展開も新しいであろう書籍」が上がってきます。
これに関しては、今でも「ふーん今こんなの流行ってるんだ。」という割と新鮮な感覚です。
実際、一般漫画の広告に興味を持ち、読んだことはあります。
ところが「異世界モノ」に限っては大体タイトルに「異世界」がつくわけです。
全く読んだことない層にとっては「また異世界か」としか思えないのです。
ただし、読んでもいないのに否定するのは申し訳ないなと思ったので、実際に目を通しても見ました。
ところが、やはり自分には合わず、途中で断念しました。
その後も「違う作品なら大丈夫かも…」と思って何度かチャレンジしましたが、やはりダメ。
もちろん好みの問題かもしれませんが、僕はある事に気付きます。
「どれも主人公を挿げ替えただけじゃねーか!!」
と。
それに、どれもテンプレ導入すぎる時点でつまらないと感じます。
まず興味を湧かせる導入が描けない時点で、その内容も「お察し」なのです。
(本当に売る気があるのかと疑うレベルです。)
それが転じて「ちゃんと読んでいないけど嫌悪感を抱く層」が生まれてしまうと考察できるのです。
すると、たとえ違う内容であっても「異世界」というワードを見たとたん、より一層嫌悪感を抱くようになるという、悪循環も生まれます。
そして、今僕の状況はまさにコレでした↓
いったん、「嫌い」と判断してしまうと、今度は嫌いという偏見で相手を見てしまうので、余計にその相手の悪いところを探してしまって、さらに嫌いになってしまいます。嫌いな点がたくさん見えてきて、「本当に嫌い」になってしまうのです。
https://diamond.jp/articles/-/244853
そして「いつまでも同じ異世界漫画ばっかり出てきやがって!!」という嫌悪感が、こうして僕のブログ執筆を駆り立てているというわけです。
(ここまで言いすぎると、「アンパンマンをバカにするイキり中学生」みたいな感じになってしまいますが。)
逆に「異世界モノが好きな層」は、「好きの循環」が生まれているからではないでしょうか。
だからこそ、未だに根強い人気があり、新作がどんどん作られ続けていると考えられます。
作り手側としても「テンプレがあった方がはるかに描きやすい」と思われるので、量産化は容易に行われるでしょう。
4コマ漫画はなぜ「萌え」に走ったか?

また、異世界に限らず、僕は萌え系(死語)4コマ漫画も「異世界モノ」と同じような現象が起きていると思っています。
僕が4コマ作家で好きなのは、「サザエさん」を描く長谷川町子先生や、「コボちゃん」を描く植田まさし先生です。
しかし、彼女達のような究極なまでの日常観察眼を持つ才能は、そうそう現れないのです。
それが出来ないからこそ、4コマでは「とにかく可愛いキャラクターが、可愛い事をしていればOK」というキャラ依存展開に移行しがちというわけです。
一方、サザエさんなんかはkawaiiからかけ離れたあまりにも「シンプル過ぎるキャラクター」です。
それでいて、物語としてちゃんと面白いのは、まさに創作の神髄だと僕は思っています。
その理由としては、表面的なキャラクターに頼らず、あくまで「4コマとしての内容の部分」に着目しているからではないでしょうか。
ちなみに、恋愛漫画も数が多いのは、キャラクターもそうですが「時代背景に左右されやすいから」という別の点も含まれていると思います。
(つまり、「当時の流行り」がいかに漫画に反映されるが重要になるからという事)
とはいえ、4コマも恋愛ものも、あまり大きく宣伝されることはありません。
ですので、僕は別に嫌悪感を抱く事はないのです。
キャラクターの質について
さて、僕は今回「キャラクターさえよければいい」と何度も書きました。
ところが「異世界モノ」はキャラクターにすべて拘りがあるのかと言われれば、そうではないかもしれません。
個人的には、深堀りもされていないただの「キャラの”肩書き”」作りレベルで終わっている気がします(今回で一番の偏見)。
もちろん、僕たちも日常的に「肩書き」で相手を判断するので、そういうのも功を奏していたりもするのでしょう。
ただし、それも結局表面的なものでしかありません。
ですので「生き生きとしたリアリティのある人物」として描けるか否かでも、その評価は大きく変わると思います。
特に、キャラ作りも極めれば高度な「心理描写」なんかも行われ、それをストーリーとして昇華されるような作家様もいらっしゃるわけで。
よって、本当にキャラ作りが上手い人は、全体的な作品作りとしても面白いともいえるのです。
なろう系における、超絶優れた画期的な発明
というわけで「とにかく売れれば良し」とする供給と、「表面的なキャラさえよければ良し」という需要が一致しているため、「異世界市場」が成り立っていると考察できるのです。
とはいえ、あまりにも作品数が多すぎると「何を選んでいいか分からない」というのが大きな課題になります。
これでは、売り手側にとっても本末転倒な事態です。
ところが、売り手はそれを解決する魔法を手に入れました。
それは、「長すぎるタイトル」を付けるという魔法です。
タイトルに作品の内容そのものを付けることで、「見なくても内容が大体分かってしまう」のです!
これは本当に画期的な手法だと思いました。
例えば映画の「風と共に去りぬ」というタイトルでは、どんな話かピンときませんよね。
その内容を理解するためには、約4時間近く(休憩も挟みながら)、じっくりと向き合って深い感動を得る必要があります。
一方、
「元最強の傭兵の俺が転生したら美少女でした ~スローライフと異世界メシづくり~」
とか
「社畜の俺が平和過ぎる世界に転移したので、ニートに転職して異世界暮らしを満喫します!~ハーレムとダンジョン飯~」
(どっちも適当に作ったタイトル。)
とかだと、一瞬で理解できちゃうのです!!
本当に読まなくても大体分かってしまう(分かった気になってしまう)事で、よりテンプレ化をさらに加速させることでしょう。
進化する視聴方法
また、画期的な発明をしたのは、売り手側だけではありません。
なんと、視聴者側もそれに対応するチート能力を身に着けつつあるようです。
例えば、「アニメを倍速で視聴する」とか「ネタバレを先に見てから楽しむ」という方法です。
これならば「時短」が出来て、より多くの作品を視聴することが出来ちゃうのです。
もちろん、楽しみ方は千差万別なので、素晴らしい事だと思います。
ただし、これが出来るためには2つの条件があります。
1つは「好奇心や感動を犠牲にするリスクを恐れない事」
2つは「作品を味わうのではなく、作業的に視聴数を増やすことを至上の喜びとする事」
倍速視聴やネタバレ先行は、この2つの条件が満たせた選ばれし人間のみが許される高度な視聴方法です。
くれぐれも僕のような老害が手を出してはいけない方法なのです。
対処法:細分化していることを逆手に取る事
とまぁ、結局何が言いたいのかと言えば、売り手も売り手なら、買い手も買い手だっていう話です。
結局、質を求める方がマイノリティであり、質を重視しない多数派が正義なのです。
だからこそ、今回の記事は僕の「雑音」という名の創作なのです。(というか、このブログ自体のテーマがそう。)
それゆえに今後も異世界モノは蔓延していくでしょうから、興味のない少数派ユーザーもそれに対処していくしかないのです。
具体的な対処法としましては、「細分化していること」を逆手に取る事です。
自分が売り手側になるなら、どういう作品が売れているか、という分析に使えます。
売り手の思考になると、作品の良し悪しよりも「売れるかどうかが大事」というのは必然です。
流行を取り入れる事で、自分のビジネスにも応用できれば損はないでしょう。
一方、ユーザーとして楽しむのであれば「自分に合いそうな作品が増えていること」を素直に喜ぶことも出来ます。
もちろん、わざわざ興味のないジャンルを手に取る必要はありません。
スポーツ嫌いなのに、わざわざ文句を言いながら野球漫画を読む必要はないのです。
今回は「異世界モノ」をやり玉にあげましたが、同様の事が言えます。
既存のジャンルの中からでも、今日もまた多くの作品が生み出され、溢れ出していくのです。
その中から、より高品質な作品を探し出す、という楽しみ方をした方が建設的と言えます。
あくまでも「楽しむ事を一番の目的」にしてこそ、趣味嗜好といえるのではないでしょうか。
ちなみに僕は、そういう怒りとか理不尽を「ブログのネタにする」という楽しみ方をしてます。
「異世界おじさん」に見る新たな切り口
ただ、そんな中でも「異世界おじさん」が流行ったのは、僕としては「流れが変わった」ような気がします。
どこか「異世界」を俯瞰し、皮肉的に笑いに変えるというのは、これまでになかった切り口なのではないでしょうか。
これはつまりキャラクターのみに頼らず、設定やストーリー、導入部分の「差別化に成功した例」と言えると思います。
流行る作品というのは「今までと違う視点という差別化」が出来ているわけであり、それでいて「共感できる点」を押さえているからでしょう。
ただ、異世界おじさんの場合においては「異世界モノのテンプレを理解している層」に受けていると思います。
逆に言えば、異世界モノを読んでいる層にとっても、いよいよ「飽き始められてきている」という現れなのかもしれません。
ですので、それを皮切りに、今後は「異世界モノをディスる作品」が蔓延すると予想します。
そして、これもまた同様に量産されていき、その中から抜きんでた作品こそが、「質」としての評価がなされるのでしょう。
ちなみに、僕が異世界作品関連でもっとも優れていると思ったのは、「ナーロッパ」という言葉の創造にあると思います。考えた人は本当に天才だと思います。
というわけで、今回のお話はおしまいとなります。
何らかのご参考になれば幸いです。