「昔はあんなにハマっていたのに、今はつまらないと感じる」
大人になるにつれ、ゲームに対してそんな感覚を持つようになった人も少なくないと思います。
それは自分に原因があるのか、それとも「最近のゲームがつまらなくなった」事に原因があるのか?
そこで今回は「大人になるとゲームがつまらなくなる理由」を深掘りしつつ「解決策」を考察しました。
(TVゲーム歴30年の僕が書く、かなり気合を込めた記事なので、じっくり読んでいただけると幸いです。)
Contents
そもそもゲームの目的は何か?
まず前提として、ゲームについて一つ整理しておきたい事があります。
そもそもゲームは、自動的に人を楽しませてくれる便利な道具ではありません。
正確に言えば、ゲームはプレイヤーに「課題」を提供する装置なのです。
その課題を「やりたい」「達成したい」と思えるかどうか。
ここが噛み合って、初めて「楽しさ」が生まれるというのが僕の意見です。
ゲームが提供する「課題」と楽しさの正体
例えばアクションゲームでは主に3つの課題を提供します。
それは「キャラクターの操作」「ステージ(ギミック)」「ボス」です。
最初は簡単ですが、徐々に難易度が上がっていくのが基本であり、「いかにして攻略するか?」という課題がプレイヤーに与えられるのです。
それらの課題に対し、プレイヤーはキャラクターを上手く操り、ステージの謎を解いたり、ボスを倒す事が主な楽しみ方となります。
そして「ゲームのクリア」、「プレイスキルの上達」、「攻略出来るようになった自分になれる」という達成感が報酬となるのです。
つまり、課題と向き合う中で満たされる「欲求」や「報酬」があるからこそ、ゲームには「楽しさ」が生まれると言えるのです。
つまらないゲームとは何か?
では逆に「つまらないゲーム」とは何なのかも掘り下げていきましょう。
この時重要なのは、あくまでゲームが提供するのは、「課題」でしかないという事です。
プレイヤーはその課題に対し「やりたい」という欲求がなければ、楽しさが生まないのです。
例えばプレイヤーが「課題」を面倒に思ったり、興味や魅力を感じないと「つまらない」という結果になるはずです。
では「RPG」を例に考えてみましょう。
RPGではミッションや人助けなどの問題を解決したり、フィールドを探索したり、敵を倒す事でラスボスまで辿る事が課題となります。
その為に「アイテム」という物欲や、「レベルアップ」という成長の喜びや、「強敵を倒したい」という欲求があるかどうかで、面白いかつまらないかは分かれるのです。
格闘、リズム、シューティング、パズルも同様でしょうが、これらは「課題=ルール」と言い換えてもよいです。
作られたルールの中で「相手に勝ちたい」、「もっと上手くなりたい」、「競い合いたい」、「ハイスコアを目指したい」などなど、様々な欲求こそが原動力になるはずです。
つまり、課題に対し自分が「やりたい」という理由や欲求がある人ほど、ゲームを楽しめるのです。
逆に言えば、それらの原動力がなければゲームを楽しむ事は出来ません。
あくまで主体となるのはプレイヤーであり、ゲームは「課題を与える事で、人々の欲求を満たす装置」でしかないのです。
向き不向きが面白いか否かを分ける
また、ゲームの提供する課題の向き不向きも、面白いかどうかを分けるポイントになります。
例えば、アクションが苦手な人に強引にプレイさせても、苦痛でしかないはずです。
一方、じっくり考えることが好きな人なら、シミュレーションやパズルが向きます。
つまり、「自分の求める目的」と「ゲームの出す課題」の双方が一致している必要があるのです。
もちろん例外もあり、「課題や目的をあえて提示しない」というオープンワールド系のゲームも存在します。
それらはどうやって楽しむかと言えば、「プレイヤー自身が目的を作るという課題」から始まるのです。
自分で目的を設定できる人には向きますが、そうでなければ「何をやっていいか分からないゲーム」となるでしょう。
ゲームの「質」についての問題点
一方、「楽しめるかどうか」はプレイヤーだけの問題ではありません。
そもそも、ゲームが提示する「課題の質」が、すべての人にとって適切とは限らないからです。
例えば、敵が弱すぎる・強すぎるような不安定なゲームバランスでは「質が高い」とは言えません。
「未知の世界への冒険」を求めてRPGを始めたら、「実際は一本道のお使いゲーだった」なんてことがあれば、ガッカリもするでしょう。
オープンワールドであっても、マップが広いだけでプレイヤーが出来る事が少なければ、楽しめる要素もなります。
そんな風に、理不尽な難易度、薄い内容、不親切なUIやバグの多さ等々、欠陥のあるゲームであれば、落ち度がどちらにあるかは明白です。
そのため、ゲーム自体の「品質の良し悪し」も面白さに関わって来るのです。
ゲームの品質の高さとは?
「高品質のゲーム」とは何かといえば「プレイヤーの求める報酬に、ゲーム側が応えている事」に尽きます。
そのためにゲーム側は中身を充実させ、「課題」をいかに魅力的に作るかが問われるのです。
また中身だけでなく、「課題の外側」も重要な要素になるでしょう。
例えば、キャラクター、グラフィック、世界観、UI、BGM等は直接的な面白さではありませんが、「一定の満足感」には繋がります。
逆に言えば「課題」を蔑ろにして外側だけを装飾したゲームは「低品質」の可能性が高まるのです。
とはいえ「低品質だからつまらないのか?」と言われれば、実はそうでもない事もあります。
例えば、どんなにクソゲーと言われても、それをあえて楽しむという人もいるからです。
むしろゲーム部分はどうでもよくて、「雰囲気に浸るだけで十分」というプレイヤーもいるでしょう。
よって必ずしも、
高品質=面白い
低品質=つまらない
という構図が成り立つわけではないのです。
つまり、最終的な面白さの判断は「プレイヤー自身」によるものが大きいので、やはり「相互的な問題」とも言えます。
需要と供給の一致がすべて
結局のところゲームが楽しいかどうかは「自分に合うかどうか」が全てという事です。
「(自分にとっては)つまらないゲームもある」のというのは1つの事実。
一方「自分の満たしたい欲求」と「欲求を満たしてくれるゲーム」の2つの条件が揃う事で、ようやく「面白いゲーム」を見出す事が出来るのです。
なので、もし「面白いゲームがない」と感じるのであれば、それは順番が違うと言わざるを得ません。
まずは「自己分析」の方が優先であり、自分の好きなジャンル、趣味嗜好の深掘りが必要なのです。
自分が「何が好きで何をしたいのか?」「どんな達成感を求めているのか?」を何となく掴み、その上で「自分に見合ったゲームを探す」のが最適解と言えるでしょう。
もちろん、必ずしも当たりのゲームが引けるとは限りませんが、3本もやれば1本くらい面白いゲームに出会えるとは思います。
(体験版とかも参考にできますし。)
なぜ大人になるとゲームがつまらなく感じるのか?
では、ここから本題である「なぜ大人になるとつまらなく感じるのか?」をテーマに事を考えていきます。
子供の頃を振り返ると、理由もなく、無条件でゲームが楽しかった人は多いはずです。
では、なぜ大人になると変わってしまうのか。
その大きな理由の一つは、ゲーム以外の課題が増えてしまう事にあります。
言ってしまえば、ゲームをクリアした事で得られるのは基本的に「自己満足」でしかありません。
ゲーム内の成功が現実世界に反映される事はあまりなく、データ上の数値が変わるだけ。
もちろん自己満足が悪いわけではありませんし、特に子供であればそれだけで十分な報酬でしょう。
しかし、大人になるにつれ日常的に様々な課題が増えていき、そちらをこなす方が重要になるのです。
学生であれば学業、部活、進学など。
大人であれば仕事、家庭、人間関係、将来など。
これらの課題は自己満足では終わらず、社会的な意義や、周囲から認められる事に繋がります。
つまり、ゲームのような評価されない課題よりも、社会的に評価される課題に取り組んだ方が得する事が多いのです。
その結果、
「このゲーム、やって意味あるのかな」
「時間を使う価値はあるんだろうか」
などという疑問を生むことになるのです。
これが大人のゲーム離れの大きな原因の1つです。
ゲームが他の娯楽と違う理由
またゲームは、映画や漫画などの娯楽とは一線を画すのも、大きな特徴でもあります。
例えば映画などは「課題」とは無縁なので「ただ見るだけ」で終わります。
いわば受動的な娯楽です。
一方、ゲームは課題解決という「能動的な目的」が必要なのです。
操作を覚え、状況を判断し、失敗を繰り返しながら先へ進む。
この一連のプロセスそのものが、ゲームの本質です。
しかし大人になると、この「課題に向き合うこと」自体が面倒に感じられるようになります。
ただでさえ日々「課題」に追われているのに、役に立たない娯楽的な課題に取り組んでいる余裕があるか否かが問われるのです。
時間的な余裕の変化も原因
精神的な余裕もそうですが、時間的な余裕も子供に比べれば減るのも問題となります。
ゲームの課題こなすには時間を多く費やすので、その見返りも十分なものでないと「時間的な損失」にもなりえるのです。
時間の有り余る子供にとっては、ゲームに好きなだけ没頭して楽しめるかもしれません。
しかし、大人であれば「限りある時間の中での選択」を迫られるので、ゲームそのものが負担なる事も大いにあるでしょう。
つまり、能動性を求められるゲームは、精神的・時間的な負担とリスクが課せられてしまうのです。
楽しみ方の視点を変えれば大人も楽しめる?
「やりたいけど面倒さや負担が勝つ」
それが大人が抱くゲームへのジレンマともいえるでしょう。
そしてやらないうちに積みゲーとなって、やがてはゲームへの興味も失っていく。
それもまた1つの結果です。
しかし、そんな時に提案したいのが「楽しみ方の視点を変える事」です。
ゲームはただクリアする事だけが目的ではありません。
例えばレースゲーならば、負けても「高速で運転できる爽快感」が得られればそれでいいわけです。
シナリオが微妙なRPGだったとしても「キャラクター同士の掛け合い」に面白さを感じれば十分なこともあります。
他にも、世界観に浸ったり、目の前の敵だけを倒したり、育成に没頭したり、BGMに耳を傾けるのも良いかもしれません。
ゲームには「課題」を課しますが、プレイヤーは「そのゲームが果たす役割」を自由に捉える事が出来るのです。
残念ながら、大人は子供のように「無条件で楽しむ」事は難しいです。
しかし、自分なりに「面白いと思える理由」を探す事が出来れば話は別なのです。
つまり、「自分の目的に合わせてゲームの役割を意識的に変える」ことが「大人のゲームの楽しみ方」と言えるのです。
ムービーゲーは悪なのか?
ちなみに「ムービーゲー」と揶揄されるゲームは、まさに映画のように動き、勝手に展開されるストーリーを見るだけで進みます。
能動性を求めるゲーマーにとっては「これじゃない」と否定的に捉えられがちです。
しかし、逆に言えば「忙しい人たち」への需要に応えた結果生まれたゲームともいえるのです。
たとえゲーム性は減ったとしても、「課題という負担」が軽減される事はメリットでもあるため、「息抜き」として役割は果たせるのです。
僕もムービーゲーに対してはあまり好意的ではありませんが、一概に悪いとも言えないのです。
最近のゲームがつまらないという理由
また「昔は楽しかったけど最近のゲームがつまらない」というのも、大人になったからこそ言える意見です。
その理由は、プレイ経験や年数も増える程、マンネリ感を抱いたり、既視感を覚えたり、簡単に思えたりするからでしょう。
あるいは、昔プレイしたゲームを美化して、現在のゲームを否定しているだけかもしれません。
子供の頃の感性と、大人になってからの感性は違うので、「昔の方が良かった」と感じるのはある意味自然なことかもしれません。
それを自分の中の変化ではなく、ゲームのせいだと思ってしまう事で「最近のゲームは~」という評価に落ち着いてしまうのです。
ゲーム業界は本当に停滞しているのか?
当然ながら自分の触れるゲームが全てではありませんし、ゲーム業界そのもののが停滞しているわけでもありません。
むしろ近年では、インディーゲームを中心に、尖った発想や独自性を持つ作品が世に出る機会は増えています。
万人受けはしないけれど「自分だけには刺さる」というゲームに出会う可能性は増えているはずなのです。
有名ゲームだけに注目するのではなく、「自分に合うゲームを探す」という自発性を持つと、新たな発見にもつながります。
「つまらないゲームも多いが、自分に合うゲームも増えているはずだ」と捉える方が建設的で前向きです。
そうすれば「最近でも面白いゲーム」の1つや2つは見つかるのではないでしょうか?
ゲームが増えすぎている事への対処法
ただ、自分に合うゲームを探すというのも、実は簡単な事ではありません。
玉石混合のゲームが増えすぎてしまい「多すぎて選べない」という問題も起こりえるからです。
「昔遊んだゲーム」に固執するあまり「最近のゲームが分からない」というのも、つまらなさを引き起こしている原因でしょう。
とはいえ、そもそもゲームが多すぎる事は今に始まった事でもありません。
ネット普及前ではゲーム販売店で探すのが当たり前であり、それこそ店内には無数にゲームが置かれていました。
事前情報なしにゲームを買うのは運ゲーにも等しく、ハズレを引く確率も多かったはずです。
しかし、今ではレビューサイトの増加によって「探しやすさ」、「当たりの引きやすさ」は格段に向上していると思います。
例えば、ファミ通.comなどは様々なハードに対応し、インディーからメジャーまで幅広いゲームを紹介しているため、情報収集に役立ちます。
それに低品質ゲームは低評価レビューによって淘汰され、人気のあるゲームは高評価を得て世に出てきやすい環境となっているのです。
ですので多すぎると感じるのであれば、「情報収集能力を高める事」で対処可能なのです。
そして、その手間や試行錯誤を楽しむのではなく「面倒だ」と感じてしまうことこそが、ゲームがつまらなくなる根本的な原因なのだと、僕は考えるのです。
子供の頃は雑誌の最新のゲーム情報にワクワクしたかもしれませんが、「雑誌を読む事すら面倒」になっては楽しめるわけがないですね。
大人がゲームを楽しむための再定義
よって、大人がゲームを楽しむためには以下の4つが必要となります。
- 自分の好みを知る
- 楽しむための目的を自分で作る
- 能動的な娯楽に対する余裕を持つ
- 今の自分に合うゲームを自発的に探す
一つずつ解説していきます。
1.自分の好みを知る事
そもそも「自分がゲームが好きなのかどうか」はかなり重要です。
「やりたくない」「意味がない」と思うのであれば無理に遊ぶ必要はありません。
しかし、それでもゲームへの興味があるならばやってみる価値は大いにあると言えます。
あくまで「自分が好きかどうか」「楽しいと思えるかどうか」がゲームをする際の判断基準です。
その際「期待したけどつまらなかった」という場合もあるとは思いますが、それらを「ただの否定」で終わらせる必要はありません。
どこがつまらなかったのかを具体的に挙げて、「自分が本当に求めているゲームは何か?」を改めて考え、次のゲーム選びに繋げる事も出来るのです。
「最近のゲームはつまらない」で片づけるのではなく、深掘りして「自分にとって楽しめるゲームを探す」という方が建設的といえるでしょう。
2.楽しむための目的を自分で作ること
何の目的もなく、義務的にゲームをプレイするだけでは、楽しさもなければ達成感も得にくいでしょう。
ただクリアするだけでなく、「どう楽しむか」を自分なりに考えながらプレイする事も重要です。
「もっとキャラを強化したい」
「上手くなりたい」
そんな自分の欲求に目を向け、それを満たせそうなゲームを遊ぶことも重要です。
もちろん、上達やクリアだけが目的ではありません
ストーリーを楽しむためだったり、雰囲気やキャラ、BGMに癒されたい、という目的も普通にありでしょう。
ゲームが自動的に楽しさを与えてくれるのではなく、「自分が主体となって遊ぶ事」が楽しさを生むのです。
3.能動的な娯楽に対する余裕を作る事
「時間の無駄」「どうせ役に立たない」
大人になるほど考えすぎて、ゲームを避ける場合もあるかもしれません。
しかし、「社会的に役に立つこと」ばかりしていては、かえって疲れが溜まって能率が下がる事も多いはずです。
実際息抜きは大事であり、ゲームに没頭してリフレッシュすれば、また頑張れる活力にもなるのです。
「自己満足」という言葉に捉われず、「趣味の一つ」として楽しむ事への罪悪感を持つ必要はありません。
むしろ遊ぶ余裕を持った方が精神的に安定すると僕は思います。
それにゲームを「自己満足だけ」で終わらせない方法もあります。
例えば、攻略記事や感想ブログを書いたり、プレイ動画を配信するといった形でアウトプットにつなげると人の役に立てるでしょう。
プロゲーマーにならずとも、個人ブログやYouTubeは割と簡単に始められるのでオススメです。
もちろんそこまでしなくても、友人やSNSで感想を共有するなどの話題の1つともなれば、プレイした意義は増えると思われます。
よって「リフレッシュ」と「他人との関わり」を軸にして、自分から意義や価値を作り出す工夫こそが「大人の遊び方」になるのではないでしょうか。
4.今の自分に合うゲームを自発的に探す
ゲームは無数に存在し、好みも人それぞれです。
「評価は高いけど自分には合わない」
「マイナーだけど自分は好き」
と言った価値観も自由です。
無理に他人に合わせる必要はなく、自分が楽しいと思えることが全てです。
もちろん「自動的に面白いゲーム発売して届く」、なんてことはありません。
多少の労力がかかっても、自分で探したり調べたりする自発性は必要になるでしょう。
それに対して「手間」と考えるか、それとも「新たな発見のチャンス」として捉えるのかで、ゲームに対する向き合い方も変わってくると思います。
最後に
それでもゲームを楽しめないのであれば、いっそのことゲーム以外のことに集中するという選択もあります。
無理に楽しもうとする必要は当然ありません。
かといって「ゲームを時間の無駄」などと判断して欲しいわけではありません。
例えば「意味」や「意義」に拘わって社会的なステータスのみを追い求めるのも、それはそれで辛い事にも思えるからです。
そういう時こそ、ゲームでなくても、たまには趣味や娯楽に浸る時間も大切ではないでしょうか。
あるいは「ゲームがつまらない」といって、何の目的もなくSNSやYouTubeを見て暇を潰すのも、「時間の無駄」である事に変わりないでしょう。
それは大人云々ではなく、「目的」があるか否かに尽きると思います。
ゲームだけを悪者にするのではなく、「自分が何を求めているのか?」という疑問に対し、その欲求を満たす手段の1つが「ゲーム」というだけの話なのです。
そんなゲームが満たしてくれる欲求とは、日常では味わえない掛け替えのない経験に尽きます。
例えば、冒険、戦い、物語、キャラクター、町づくり、育成、シミュレーション、対戦、美麗なグラフィック、美しいBGM、コミュニケーション…などなど。
パッと思いつくだけでも様々な可能性をもたらしてくれるゲームを、「つまらない」というたったの一言で片づけられるのかは、僕は疑問なのです。
その原因は本当に「最近のゲームがつまらないから」なのか、はたまた「楽しもうとする意欲の有無」の違いなのか?
という所です。
(かくいう僕は、インディーゲームもやりつつも、なんだかんだリメイク作に手が伸びてしまうんですけどね。)
さて、最後になりますが、当ブログはゲームレビューや攻略記事を書いているので、自分のスタンスを整理するのも今回の趣旨でした。
僕がゲームをレビューする際、こうした価値観を持っている事を明記するのも大切だと思った次第です。
漫画・映画の感想なんかも書いているので、良かったら他の記事も読んでみてください。

















