ドラゴンクエスト ユア・ストーリーのオチがひどい理由とレビュー

久々のテーマは「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」です。

酷評されがちでもあり「大人になれ」というメッセージが有名です。

 

しかし、実際よくよく見てみれば、むしろこの映画は「大人になれ」という言葉へのアンチテーゼであることが分かります。

その辺の感想を書いておきます。

盛大なネタバレもあるので、ご注意を。

(公開から数年経ったので、今さら感もありますが…。)

 

ちなみに、今回は好意的な立場として書きますので、お望みでない方はブラウザバック推奨。

「大人になれ」というのは敵側の主張である

さて、この映画を否定する人が言われるのが「大人になれ」という言葉です。

これは映画の終盤でミルドラースのプログラムに擬態したウィルスが、主人公のリュカに言い放ったセリフです。

(正確には、ウィルスを作ったプログラマからのメッセージですが。)

 

しかし、これはあくまで敵側のセリフです。

それに対してリュカが「分かりました、大人になります!」と肯定しているわけではありません。

 

リュカは「たとえプログラムでもゲームは嘘じゃない、本物だ」と反論するのです。

さらにゲームの世界を「もう1つの現実だ」と断言するのです。

 

つまり、リュカは「大人になれ」という言葉を真っ向から否定しているわけです。

この点が勘違いされがちなのですが、この作品はゲームを否定するのではなく、完全に肯定しているわけです。

(もしゲーム否定が目的ならば、リュカが反論する意味がありませんからね。)

 

よって、この映画のメッセージは「大人になれ!」と言ってゲームを否定する人へのアンチテーゼという事になります。

 

なので、この映画を語る際「大人になれ」を誤用している方には気を付けた方が良いと言えるでしょう。

特にレビューなんかは偏見にまみれているとしか言えませんし。

(もちろん、映画の意図を踏まえた上で否定されるちゃんとしたレビューもありますが。)

かつて、ゲームは否定されるものだった

では、なぜ「ゲームを肯定する」というメッセージが今作のテーマとなったのでしょうか。

それは昔はよくゲームを否定する人間が多くいたからだと思います。

 

例えば、かつてファミコンが登場した時に「ゲームは1日1時間」というフレーズが生まれました。

この言葉は、と応じゲームに熱中して勉強を疎かにする子供たちを諭すために使われました。

逆に言えば、ゲームが敵視されていた時代だからこそ、こうしたフレーズが世間に受け入れられたと言えます。

 

また00年代頃では「ゲーム脳」などというエセ化学が本当に信じられた事もありました。

例えば、

「ゲームをすると頭が悪くなる」

「キレやすくなったり、暴力的になる」

「コミュニケーション不全になる」

などなどと、根拠のない嘘情報がよく出回っていました。

 

嘘にも関らず、「ゲーム脳」という言葉のインパクトのせいか、世間には驚くほど浸透し、「ゲーム=悪」などと本気で思っていた人もいました。

(令和になった今でも、香川県にてゲーム条例が施行されてしまうほどの影響力があったと言えます。)

 

そして、そういう情報に敏感なのは子供よりも「大人」でした。

子供としては純粋にゲームを楽しみたいのに、大人達が阻害する存在になったのです。

 

つまり、このユア・ストーリにおけるウィルスとは、「ゲームを否定するステレオタイプの人間」とも言い換えられるわけです。

それを敵側に据えて倒すことで、「ゲームを愛する人へのエール」という形で終わったのが、今回の映画のテーマとなったと言えるでしょう。

ユア・ストーリーはなぜ「ひどい!」と炎上したのか?

しかし、残念がながらこの映画の評価は低く、炎上するほどの勢いでヒドい事を書かれたりします。

公開から数年経ちましたが、未だにこの界隈は荒れていて、見苦しいほどの罵詈雑言をよく目にします。

その理由で考えられる事は2つあるので紹介していきます。

①原作を改変するな!

1つは原作を改変してしまったから。

今回の場合は原作者である堀井雄二先生の監修の元で作られたため、その点は問題ないでしょう。

しかし、原理主義者的なDQ5プレイヤーはまた別の話。

彼らの中には過激派も多いため「ゲームの内容そのままでよかったのに」とか、「思い出を変えるな」といった意見で炎上するのはやむを得ないと言えます。

しかも、目立った伏線もなく「もう少しで大団円!」というカタルシス直前での唐突な急展開でしたからね。

そのモヤモヤ感が残った状態で「大人になれ」という言葉が飛び出したがために、なおさら鑑賞者の怒りを買ってしまった、というのが炎上の理由だったのだと思われます。

 

②リュカへの共感が得にくい

低評価であるもう1つの理由は、「リュカへの共感が得にくかった事」だと考えられます。

というのも、リュカに共感できるのは、彼と同じように「好きでやっているゲームを他人から否定された経験がある人」だけです。

(僕としても「ゲーム脳」という言葉を盾に、否定的な意見を言われ、悔しい思いをした経験があるのです。)

 

逆に言えば、ゲームを否定されたことがない人にとっては、まったく響かないのです。

もしも未だに「ゲーム=悪」という価値観が幅を利かせる時代だったら、リュカへの共感も多かったと思います。

 

しかし、00年代ならまだしも、10年代頃からゲーム実況が盛んになるという風潮もあり、少しずつ時代が変わっていきました。

近年ではプロゲーマーやYoutuberという職業の確立など、これまでの価値観が徐々に塗り替えられていきます。

特に2016年は、今は亡き安倍元首相がリオ五輪の閉会式であの「マリオ」に扮装するという衝撃を世界中に与えました。

そして、ユアストーリーの公開1年前の2018年は、「eスポーツ」が流行語トップ10にノミネートされるに至りました。

 

このような流れを経て、これまで否定されがちだったゲームが、打って変わって評価されるようになったのです。

 

つまり、ウィルスの言う「大人になれ」というのはやや時代遅れのヘイトスピーチとなってしまったわけです。

そのため「どういう意図で煽ってくるのか?」と鑑賞者が困惑されたがために、リュカへの共感を得にくかったと言えるでしょう。

あるいは「俺は今でも純粋に主人公やってるのに、余計な事言うな!」って感じですかね。

 

その結果、今作は僕のような「ゲームが好きで、なおかつ他人からゲームを否定された経験を持つ人」にしか刺さらないニッチ需要の映画となったと考えられるのです。

 

メッセージ性のある映画では、世相を反映する事も重要になるでしょう。

今作は、質は非常に高いのに、鮮度が落ちてしまったとでもいうのでしょうか。

 

公開があと10年、いや5年くらい早ければ、評価は大きく変わったかもしれません。

本当にもったいない映画だと思います。

ユア・ストーリーの評価点

さて、色々言われる今作ですが、僕は別に否定的な感情は特に抱きませんでした。

むしろ、今作で最も評価された方が良いと思ったのは、純粋なまでのゲーム賛歌です。

というのも僕はこれまで、これほどまでにゲームを肯定する作品は見たことがありませんでした。

 

例えば、同じくゲームを題材にした「レディ・プレイヤー1」のオチは、結局「現実の世界も大切にしよう」という陳腐なものでした。(それはそれで好きな作品なのですが。)

「劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん」の場合も、あくまでゲームは手段であり「親子関係」に主軸が置かれてしました。

「ゲームセンターCX THE MOVIE 1986 マイティボンジャック」も貴重な日本のゲームの映画ですが…、まぁドラマ部分は面白かったです。

 

つまり、ゲームを題材にした作品はあっても、「ゲームそのものを肯定するテーマ」というのは、かなり新しい試みなのです。

それなのに、なぜかその点が評価されず、斜に構えた評論家様たちは「次第錯誤だ」などと宣い、バッサリと切り捨てられてしまう事が多いのです。

 

確かにそうした意見も一理あるかもしれませんが、先ほどにも述べた通り、ゲームが肯定される風潮にはなったのは、ほんの最近の話なわけです。

それをさも「ゲームは肯定されるのが当たり前」などと平静を装うのは、ちょっと違うのではないかと思います。

 

今30代40代の方ならば、親を始めとした大人からたちゲームを敵視された経験が少なからずあったはずです。

そんな風に、他人の勝手な価値観でゲームが貶められていたのに、急に手のひらを返して褒め出す世間の身勝手さに、何も感じませんでしたか?

 

僕自身も、他人からゲームを否定されることがあっても、反発してゲームをプレイしてきた身です。

もっとも、そんな子供の頃の一時の反抗的な気持ちなんて、とっくに忘れていました。

 

しかし、今作で描かれたのはプレイヤー(リュカ)が少年時代に触れたSFCのカセットです。

小さい頃はクリアできなかったけど、プレイヤーが成長するとともにエンディングを迎えるという演出がありました。

僕自身もその姿を重ねてしまい、昔の気持ちが蘇ってきたのです。

 

当時ゲームに熱中していた子供は、否定的な他人の価値観なんて跳ねのけて純粋に楽しんでいたはずです。

本気で遊んでいた頃の「ゲームの世界」は、リュカの言う通りまぎれもなく「本物」だったのです。

 

つまり、この作品の真の価値は「ゲームへの否定に抗い、戦ってきた子供たちへの賛歌」という事にあると思うのです。

そしてその子供たちこそが、まぎれもなく主人公であり、勇者だったのでしょう。

 

今では、ゲームは大人になってもプレイするのが当たり前。

しかし、そうじゃなかった時代を思い起こさせる演出に、ノスタルジーを感じざるを得なかったのです。

 

・・・ただ、それが評価されにくいという事は、ノスタルジーまでもが否定される時代となった事なのかもしれませんけれどね。

(ほんのちょっとでも過去の話をすれば、すぐ老害とか言われちゃうし。)

 

また、その重要なテーマをラストわずか10分でまとめられたのは、非常に簡潔で無駄がなかったと思います。

さらに言えば、鑑賞者をDQ5のストーリをなぞって追体験させ、童心に帰りさせつつ、改めてゲーム素晴らしさを思い出させる…という構成や演出も、個人的には良かったです。

 

まぁ、その辺は好みの問題なのでしょうけれど、「どんでん返し」がウケるかどうかは恐らく個人ではなく「世間様」が決める事なのでしょうね。

 

あと、仮にもしゲームと全く同じ内容を映画にしたとしても、「だから何?」という感想にならなかったと思います。

そんなにゲームの再現を求めるならば、映画なんか見てないで、ゲームだけやってろよって話ですからね。

 

僕は映画もゲームも大好きです。

特に個人の主張や明確なテーマが存在する作品ほど見る価値が高いと思っています。

 

というわけで、以上がテーマ等に関する僕の意見です。

オチへの不満:「もう1つの現実」を貫き通して欲しかった

ただ、ストーリー面においては、個人的に残念なシーンが1つだけあります。

それは、オチとなって解決するのが、単なる「アンチウィルスプログラム」だったことです。

ウィルスを倒すため、スラリンの姿でこの世界を監視していた、という設定だったのです。

 

そこで思ったのが「結局プログラムが解決するんかい!」という残念なオチだという事です。

この1点だけは、どうしても納得がいきませんでした。

そうではなく、ゲームの世界を「もう1つの現実だ」と言い切ったリュカのセリフをもっと忠実に守って欲しかったのです。

 

例えば、スラリンが「僕はこの世界で生まれた!だから僕はこの世界を守るんだ!」といって声を上げると共に、仲間が次々と復活して、最後はみんなの力でウィルスをやっつける…みたいな。

仲間キャラクターたちはただのプログラムなどではなく、自我を持ったNPCみたいな存在に昇華して欲しかったのです。

 

とはいえ、僕が望む展開は、ファンタジー要素が強すぎてサムい演出かもしれません。

しかし、そもそも題材がファンタジー世界のRPGなのですから、最後くらいはファンタジーを貫いて欲しかったというのが、この映画の最も残念だと思ったところです。

 

結果的に、肝心な部分で現実寄りになってしまったのは、大人の良くない部分が出てしまったのではないかと思います。

この点さえなければ、僕の中では星5だったのですけれど…。

 

ちなみに、僕は公開当時に映画館で鑑賞し、久々にVODで見返してこの文章を書いてますけど、やっぱりこの点だけは残念です。

 

もう1つの残念な点

また、本編とは関係ないのですが、残念だと思う事がもう1つありました。

それは、この作品が語られるのは「否定ありき」になってしまっている事です。

あまりの悪評っぷりに、もはや先入観ゼロで見る事は困難であり、誰しもが「否定」というフィルター越しでしか見れないというね。

(そういう意味では完全初見で、映画館で見れた僕は本当にラッキーなのかもしれませんが)

 

僕はこの映画を見て非常に感動したのですが、家に帰ってネットを開いてみると、レビューサイトではとんでもない量の罵詈雑言ばかりで埋め尽くされたので、非常にショックだったのを覚えています。

そのショックのせいで褒める記事を書くのを躊躇ったのですが、数年を経てようやく執筆に至りました。

(ただし、今でもこの映画に触れると、発狂する人々がいるとかいないとか。)

Amazonのレビューで覆った?

公開から数年経ち、様々な媒体で配信されるようになった現在。

どうせ「低評価なんだろうな…」と思いきや、なんとAmazonレビューではまさかの星4!!

当時は叩かれまくり、悲しかったですが、ようやく正当な評価が得られたようです。

「何でも否定してもいい」という風潮だったため、荒れていましたが、やはりそれこそが異常だったことが伺えます。

中には、監督の人格まで否定するという、サイコパスみたいなのも大量に湧いていましたからね。

(未だにその残骸みたいな人もいるのは恐怖でしかありません。)

ネットのエコーチェンバーが本当に恐ろしい事を痛感するばかりです。

ドラゴンクエスト ユア・ストーリーの感想

さて、最後になりますが、僕にとってこの映画のメッセージは共感出来たため、素晴らしい作品だったと思います。

 

ウィルスに対するリュカのセリフには「よくぞ言ってくれた」と思いました。

子供時代に悔しい思いをした自分の仇を取ってくれたような気持だったからです。

本作のカタルシスは、そこにあると思います。

 

それと特に印象的だったのは、ラストシーンでリュカは「”本当”に痛かった」というセリフを2回繰り返すところです。

DQ5は非常に痛みを伴うゲームであり、その痛みは主人公だけでなく、プレイヤー自身の本当の痛みでもあった事を思い起こさせてくれました。

 

そしてわざわざ「本当」と繰り返されるセリフは「すでに大人になった人」に対するものだと僕は感じました。

僕自身も、かつては本当に「主人公」でした。

しかし、残念ながら年を取りにつれ「主人公にはなれなくなっていく」のです。

 

もちろん、今でもゲームをしていますし、時間さえあれば何時間でもプレイすることは出来ます。

しかし、どこか一歩引いた目で見てしまい、批判めいた事を考えてしまう自分がいるのです。

 

そうして、特になりたくもなかった大人になったけれど、それでもあの頃の冒険は確かにあったと、僕も確信しています。

 

最後になりますが、作品を鑑賞する上で、他人の評価というのは本当にどうでもよい事です。

僕はこの映画に出会えて本当によかったと思っています。

 

というわけで、今回はこの辺で終わりとさせていただきます。

ありがとうございました。