SNSを中心に「ケーキ切れなさそう」という言葉を見かけることが増えました。
安易に使う方もいますが、実はこの言葉には少し複雑な背景があります。
今回はそんな「ケーキ切れなさそう」という表現の由来や、なぜ問題視されることがあるのかを、分かりやすく整理してみました。
「ケーキの切れない非行少年たち」とは?
この言葉の元になっているのは、精神科医・宮口幸治さんの著書『ケーキの切れない非行少年たち』です。
この本の中では、少年院に入った子どもたちに「ケーキを3等分にしてください」という課題を出す場面があります。
しかし、うまく3等分できない子どもが多く、その背景には知的発達の遅れや学習の偏りがあることが指摘されています。

つまり「ケーキを切れない」というのは、単なる不器用さではなく、発達や教育の問題に社会がどう向き合うかという問いかけなのです。
この作品は話題を呼び、シリーズ累計180万部を超えるベストセラーになりました。
それだけ多くの人が、「見えにくい生きづらさ」に関心を持ったということだと思います。
社会問題への提起となった一方で、そこから派生して「ケーキ切れなさそう」というスラングが一部で使われてしまうようになりました。
「ケーキ切れなさそう」は差別用語?
彼らへの理解を深めることが著書の意義であると思われますが、残念ながらそういった解釈がすべてではありません。
そういった知能的な事を「揶揄するために使う」という人もいるのです。
例えば、言葉足らずやミスをした人に対し「あの人、ケーキ切れなさそう(笑)」という具合に。
一見ネタやお笑いのようでも、そこには差別的なニュアンスを持ってしまいます。
理解を示すどころか誹謗中傷が目的となってしまえば、言葉の誤用と言わざるを得ません。
なぜ差別用語が使われる?
とはいえ、僕は差別用語を使うなというつもりは毛頭ありません。
日常でもネットでも、そういう人をいちいち咎めていたらきりがありませんからね。
ですので「ケーキ切れなさそう」という言葉は使いたい人が使えばいいのではないかと思います。
ただ、個人的に疑問なのは「なぜ差別用語を好む人がいるのか」という事です。
むしろ障害を持つ方よりもよほど病的な何かを感じにはいられないのです。
例えば、何らかの劣等感を抱えている人が、「もっと“弱そうな人”を見つけて安心したい」という気持ちの表れだったりとか。
あえて強い言葉を使うことで、自分のストレスやうっ憤を晴らしている可能性もあります。
要するに「他人を貶める事で、自分を少しでも守りたい」という無意識の欲求が背景にあるかもしれません。
以上のような背景を考えると、「なぜこの表現が出てきたのか」「どんな人が使ってしまうのか」が少し見えてきます。
本当に問題なのは障害の有無というよりも、その障害に対する周囲の反応の方なのではないでしょうか。
障害を抱えた人の生き辛さは僕には想像もできないほどでしょうが、障害がなくても生き辛い人もいるでしょう。
自分が強くあろうとするのではなく、弱いものをさらに叩こうとする姿勢は、もはや「障害の有無」でしかマウントを取れないほど追い詰められるという、社会の病と見て取れます。
「ケーキ切れなさそう」という表現について まとめ
言葉の使い方はその人次第ですが、「誹謗・中傷」が含まれていると感じる場面では、この表現は差別用語として機能してしまっていると思います。
然るべき場所へ繋げる事こそが真意であるのに、相手を揶揄するための言葉として使われるならば、理解を深めるどころか関係を悪化させてしまう可能性が高いです。
そして、もしこの表現を「自分が使われてしまったら?」と想像すると、やはり気持ちのいいものではないはずです。
ただ、言う側も言われて気にする側も、まずは「自分自身を肯定すること」が何よりではないかと思います。
誹謗中傷が使われる時には、その人の悩み、不満、コンプレックスの裏返しである場合もあるかと思います。
さもなければ、わざわざ相手の事をとやかく言う必要はないでしょう。
もしそう言う言葉を使う人が身近にいた場合、「きっとこの人も何か事情があるんだろうな」と想像できる方が、心が少し楽になるのではないでしょうか。
さて最後になりますが、今回の記事は少し堅めだったかもしれません。
ですが、こうした言葉遣いや背景を理解することは、ブログを書いていく上でも、とても大事だと思う次第です。
というわけで、今回は以上となります。


















