浦島太郎はなぜバッドエンドなのかを考える

浦島太郎

誰もが知っているであろう「浦島太郎」。

しかし、そのオチに関して、釈然としない部分をお持ちになられている方もいらっしゃるかと思います。

今回は、そんな浦島太郎についての考察をしていきたいと思います。

 

浦島太郎 ストーリー紹介

その前に、ざっくりとストーリーを紹介していきます。

1.浦島太郎がいじめられていたカメを助けると、お礼として竜宮城に招待される。

 

2.竜宮城で乙姫様と楽しく過ごしているうちに、数年の時が経つ。

 

3.ある時、浦島はふと故郷の事を思い出し、帰りたい旨を乙姫に伝える。

 

4.すると、帰り際に「開けてはいけない」と言われながらも玉手箱を渡される。

 

5.そして、浦島が故郷に帰ると、そこは数百年の時が経った後だった。

 

6.最後に、浦島は玉手箱を開けると、老人となった。

おわり。

 

なぜ浦島太郎はバッドエンドで終わってしまったのか?

では、ここから考察を始めていきたいと思います。

テーマは「なぜ、浦島太郎はバッドエンドで終わってしまったのか?」という事です。

 

そもそも日本における昔話の教訓は一貫して「因果応報」にあります。

因果応報とは、良い事をすると、良い事が返ってくるし、悪い事をすると、悪い事が返ってくる、という事です。

 

桃太郎、猿蟹合戦、鶴の恩返し、一寸法師、コブ取り爺さん、舌切り雀や、おむすびころりんなどなど、大抵のストーリーは、まさに因果応報です。

しめくくりには「幸せに暮らしましたとさ」とか「めでたし、めでたし」などと言っておしまいとなります。

 

では、なぜ浦島太郎は「良い事」をしたのにもかかわらず「老人になって終わり」というバッドエンドのような形となってしまったのでしょうか?

浦島太郎には、老人となった後の幸せや、めでたさも全く感じられません。

(最後には鶴になったみたいなオチもありますが、今回は除外します。)

 

そこで、浦島にはバッドエンドが与えられたのは、恐らく何かしらの「教訓」があるはずだと、僕は考えました。

つまり、浦島太郎は「因果応報ではない教訓がある」からこそ、異質なのではないかという考察です。

 

ですので、浦島太郎は、他にどんな教訓があるのかを考えていきたいと思います。

 

①因果応報の否定

まず1つは、「因果応報を否定するため」、という説です。

例えば、誰もが一度は他人に親切な事をしたことがあると思います。

 

けれど、いくら親切をしたからといっても、相手からの見返りがない事も多いかと思います。

それも1つの現実であり、世の中はそう都合のいい事ばかりではないのです。

 

しかし、浦島太郎はその見返りをきっちりもらう事にし、竜宮城へとホイホイついていってしまったわけです。

その結果、老人になるわけですから、良い事をしたからと言って、良いものが手に入るわけではない、というまさに「因果応報を否定している物語」といえます。

 

②他人の好意に甘えてはいけない説

2つ目の説は「他人の好意に甘えてはいけない」とする説です。

浦島太郎は、乙姫様の元で楽しい時間を過ごします。

 

しかし、たった1度だけカメを助けただけなのに、それはあまりにも大きすぎる見返りとは言えないでしょうか?

つまるところ、浦島太郎は「自分が良い事をしたから」とか「相手が甘えさせてくれるから」という理由で、長く竜宮城に滞在していたわけです。

 

しかし、ふと故郷が懐かしくなったため「帰りたい」と申し出るわけですが、これもまた自分勝手な都合といえるのではないでしょうか。

 

そんな風に、「良い事をしたとしても、他人の好意に甘えていると、痛い目を見ますよ」というのが教訓ではないかとも考えられるのです。

例えば、働かずに楽して親のスネばかり齧るような生き方を非難する教訓なのかもしれません。

 

③邯鄲の枕説

3つ目の説は、「邯鄲(かんたん)の枕」と同じ教訓ではないかとする説です。

邯鄲の枕とは、中国の唐の時代に作られた小説の1つです。

 

この物語では、人生の不幸を嘆く男が、不思議な枕をもらうところから始まります。

その枕を使って眠りについた男は、夢の中でどんどん出世していき、富や名声を築いていくのです。

しかし、どんなに立派になっても、結局は年齢には勝てず、年老いて死に至るのです。

 

そこで男は目を覚ましますが、現実の時間はほとんど進んでいませんでした。

 

そこで男は悟ります。

 

不幸な人生でも幸運な人生だといっても、人間にとっては、しょせんはひと時の夢に過ぎないのだと。

 

つまり、邯鄲の枕の教訓は、たとえ幸せな生活を送ったとしても、結局は死ぬときは死ぬのだ、という「人生の儚さ」を教えてくれるものです。

 

さて、浦島太郎も、まさにそんな夢のような世界で過ごしていきます。

 

ただ浦島の場合は、夢ではなく、本当におじいさんになってしまいました。

とはいえ、結局恵まれた経験をしたころで得るものは「老化だけ」という、これもある意味儚さを描いています。

 

また、なぜ竜宮城と現実世界に数百年に時差が生じたのかといえば、それは「楽しい時間ほど早く過ぎる」という感覚的な違いを描いたのかもしれません。

 

ただ、楽しい時はあっという間に過ぎるものであり、それだけ得るものが少ないとも言えます。

その一方で、現実世界で生きるのは苦しい事もあるけれど、それだけ得るものも多くなるのではないでしょうか。

 

とはいえ、たとえどんな生き方であっても、人生は孤独や老化、そして死から逃れる事は出来ず、人生は儚いものである、という教訓があるといえるのです。

 

昔話は因果応報だけが全てではない

とまあ、色々考えましたが、「因果応報ではない物語」として見ると、様々な理由が考えられることが分かりました。

昔話は必ずしも「因果応報」だけがテーマではなく、浦島太郎は、それに当てはめるからこそ異質な物語に見えてしまうのではないかと思います。

そう考えれば、「浦島太郎」を、また違った視点で読むことが出来るかもしれません。

 

また、浦島太郎以外にも異質な作品としては「かぐや姫」も挙げられます。

かぐや姫も決して「めでたし」で終わるわけではなく、最後は月に帰るという物語です。

 

かぐや姫はまた別の教訓が考えられるわけであり、昔話は必ずしも因果応報でない場合もあるのでしょう。

 

浦島太郎を現代に当てはめると?

さらに僕は、浦島太郎を現代の価値観に当てはめて考えてみました。

 

すると、浦島が現代における「ニート」であったり、現世から隔離された「引きこもり」のような存在に見えてきたのです。

 

というのも、竜宮城という何もしなくてもご飯や娯楽に溢れた空間から、浦島は外に出ることもなくぬくぬくと過ごしていたのです。

 

こらは、社会の荒波に揉まれることもなく、安全な自室で過ごすような、ニートのような存在を彷彿とさせないでしょうか?

 

では、そんなニートや引きこもりの末路はどうなるのでしょうか。

 

それは浦島と同様、「中身は子供でも、外見は老人という存在となる」可能性が高くなる、というわけです。

 

しかも、浦島はあくまで「善人」という所が肝心なのではないかと思います。

たとえ「善人」であっても、ダークサイドに堕ちることがある、というか「善人だからこそ怠惰に染まりやすい」ともいえるのです。

なぜなら、善人は必然的に「良い事」をするため「自分もその見返りを貰って当然だ」みたいな意識を持つことは自然だからです。

 

ましてや、乙姫様と同様、親という存在も、ご飯や金銭などの無償の愛を提供する存在になりえると思います。

こうした親の甘やかしと、子供の「自分は良い子だから愛されて当然だ」という意識によって、浦島太郎が生み出されるのではないか、と僕は考えたのです。

 

そう考えると、現代に通じる教訓としても成り立つわけですので、今日まで伝わる名作となっているのではないでしょうか。

 

もちろん、昔の人に「働かない人(ニート)」や「引きこもり」という概念があったのかは謎ですが「楽して竜宮城に行くような夢ばかり求めてると、ただのジジイになるぞ」みたいな戒めとして使われていたと、僕は想像しています。

 

なぜ乙姫様は玉手箱を渡したのか

では最後に、なぜ乙姫様は「開けてはいけない」と言いながら浦島に玉手箱を渡したのかという考察をして終わりたいと思います。

 

そもそも、「開けるな」というくらいなら、わざわざ玉手箱を渡す必要はなかったわけですよね。

 

では、もし玉手箱を渡さなかった場合、どうなっていたのでしょうか?

 

現世に戻った浦島は絶望するばかりで、拠り所をすべて失う状態となります。

そんな風にすべてを失った人間は、何をしでかすか分かりませんし、下手をすれば自害なんてこともあったかもしれません。

 

つまり、逆に言うと、乙姫様は、そんな最悪の結末を避けるために玉手箱を渡したのではないか、と考えられるのです。

現世に戻った浦島が、「全く見知らぬ世界で0から生きていかなければならない・・・」などと絶望するよりも、せめて老人となって誰かの力を借りる事が出来れば、最悪の自体は免れる事になるかもしれませんから。

あるいは、「せめて天寿を全うしてほしい」とう願いがあったのかもしれません。

 

それが乙姫様が玉手箱を渡した理由だと思いました。

つまり、彼女のなりの優しさだと考えられるのです。

 

では、なぜ乙姫様は「開けるな」といったのでしょうか?

それは、乙姫様としては、浦島が絶望することなく「よし!俺はこの新たな時代で頑張るぜ!」みたいな前向きな気持ちであることを本当は望んでいたのではないでしょうか。

 

ですので、乙姫様は、「浦島に嫌われる事」や、「浦島を老化をさせてしまう責任」を負うのが怖かったため「出来れば開けないで、強く生きて欲しい!」というメッセージとして「開けるな」と言ってのではないかと思うのです。

 

そうすれば、老化する事もなく、第2の人生として再び歩き出す事が出来るという未来もあったのですから。

 

けれど、そんな乙姫様のメッセージも虚しく、浦島太郎は現実に絶望し、やむなく開けるしかなかったのでしょう。

 

しかし、浦島が現実に耐えきれなかったのも、当然だったのかもしれません。

それもそのはずで、何年もの間、他人に依存していた浦島は、自分で生きる術をすっかり忘れていてしまったのでしょうから・・・。

 

したがって浦島は「老人」となり、これからは若者の手を借りるか、最悪の場合孤独死を待つ…、という、本当に現代にも通じる話に見えてくると思った次第です。

 

さて、というわけで、以上が「玉手箱を開けるな」と言って渡した理由の考察となります。

 

いろいろ書きましたが、これも1つの考え方としてご参考にしていただければ幸いと思います。

 

以上でおしまいとなります。

読んでいただき、ありがとうございました。