僕は1年ほど前にTwitterを始めました。
最初のころは面白かったですが、だんだん疲れてきて、最近になってやめる決意をしました。
やめた後はスッキリして、「何であんなにのめり込んでいたんだろう…」と怖くなるほどです。
そこで今回は、「なぜSNSで疲れてしまうのか」と「やめた方がいい理由」を考えてみました。
僕以外にも「SNS」にマイナスイメージを持っている方もいらっしゃるかと思いますので、ご参考になると思います。
SNS疲れの原因について
まず、「SNS疲れ」を語るうえでポイントになるのが「承認欲求」というキーワードです。
ご存じの方も多いとは思いますが、SNSは「承認欲求を満たせる手段」としても使われています。
例えば、
「みんなに自分を見て欲しい!」
「誰かから認められたい!」
「いろんな人と繋がりたい!」
といった人々の願望を、SNSを通して満たせるわけです。
もちろん、そういった願望を持つことが悪いというわけではありません。
けれど、誰もが承認欲求を建設的に満たせるわけではないのです。
そこに「SNS疲れの原因」があると考えられるのです。
承認欲求のタイプ
実は、承認欲求には2つのタイプがあると言われています。
1つは「人に良く思われたい」と思う「賞賛獲得欲求」タイプ。
このタイプはSNSに積極的で、情報を発信するのも前向きだったりします。
そういう人は、SNSに向いていると言えるでしょう。
しかし、もう1つのタイプは違います。
それは、「人から悪く思われたくない」という「拒否回避欲求」タイプです。
言い換えると、「他人の視線を気にするタイプ」です。
実は、僕はこれに該当していました。
はっきり言って、人の目を気にしすぎるタイプはSNSに向いていないのです。
他人の視線を気にするという性格
「他人の視線を気にする」という性格は、おそらく僕だけが抱えている悩みではないでしょう。
そういう人がSNSを使うと、以下のような事態が発生します。
・フォロワー数の多い人と比較して自信を失う。
・自分主体ではなく、みんなに受けそうなことを書いてしまう。
・自分が「フォロー」や「いいね」をした相手から反応がないと焦る。
・バズっている人を見ると「自分もバズりたい」と思ってしまう。
・仲良くなりたい人がいても、怖くて挨拶が出来ない。
・・・など、全てが「自分一人で勝手に空回りしている」だけです。
例えば、僕の場合だと、何かをつぶやいた後、「この書き込みで大丈夫かな…?」と不安になってしまうのです。
さらに、「いいね」がなかったり、反応がなかったりすると、「こんなこと書いても意味ないか…。」と削除してしまうのです。
結局、ただの自意識過剰、あるいは被害妄想なのですが、それが最も疲れる原因ではないかと言えるのです。
リアルとSNS人間関係は別物
人目を気にしがちとはいえ、僕はもうアラサーなので、リアルの人間関係にはある程度慣れました。
しかし、SNSでは揚げ足取りや、批判が得意な人がいるので、そういう視線を感じると、非常に面倒で疲れてしまうのです。
そもそもSNSとは「他人とつながる事」を前提としているツールですから、関わりたくない人ともつながる恐れがあるのです。
例えば、ブロックしたとしても、別アカウントで粘着するような人もいるという話を聞くと、ゾっとします。
「そういう人間もいる」と割り切れれば良いのでしょうが、残念ながら僕には無理でした。
SNSを続ける意味について
また、最初はいいねやフォロワーを求めいていなくても、結局誰からの反応もなければ、SNSをやる意味も感じなくなっていきます。
逆に言えば、SNSをやる意義を見出したいがために、気づけば「いいね」を求めてしまっていたのです。
けれど、他人の目を気にした投稿をしたところで、何にも楽しくはないのです。
それなのに、無理してSNSを続ける必要はあるのでしょうか。
だったら、キッパリと辞めた方が、精神的に安定すると考えるのが自然なのです。
その結論により、僕はTwitterを辞めるに至ったのです。
SNSをやめる勇気について
ただし、いざやめるのには少なからず勇気はありました。
十数人とはいえ、フォロワーになっていただいた方や、「いいね」をしてくれた人を裏切るような気持にもなったからです。
その点に関しては、非常に申し訳ないという思いです。
それに、承認欲求という強大な欲望に呑まれつつあったので、SNSを手放すのも抵抗感がありました。
元々はブログの宣伝のつもりで始めたのですが、気づいたらただ「いいね」を求めている自分がいました。
「自分は中毒にならない」と思っていたはずなのに、四六時中つぶやきを考えて、評価を気にしていたのです。
しかし、周囲の助言により、なんとか自分が沼にハマっていることを自覚でき、ようやく脱出できたという所です。
もし、気づかなければ、僕はずっとSNSを続けていたかもしれないと考えると、恐ろしいです。
なぜSNSを始めたのか?
また、そもそも僕がSNSに興味を持ったのは、「他のブロガーもやっているから」、という安直で主体性のない下らないものでした。
また、有名ブロガーなんかを見ると「SNSをやった方がアクセスがアップしますよ!」みたいな文句を謳っていたので、ついつい唆されてしまったのです。
最初のうちこそ、僕も「ブログのためにもフォロワーを増やさなければ…」という名目でした。
しかし、時がたつに連れ、ただ「いいね」が欲しいという目的にすり替わっていたのです。
そして、1年やってもアクセスアップにもならず、得るものはほとんどありませんでした。
そう考えたら、SNSを続ける理由もなくなったのです。
SNSを1年ほど続けて得たもの
ただ、Twitterを1年ほど続けてよかったと思ったことは2つあります。
1つは、このブログのネタになったこと。
もう1つは「もう2度とSNSをやるもんか」という強い気持ちが持てた事です。
これがもし数日、数カ月程度の継続だったら、「またやってみようかな…」なんていう弱い気持ちになっていたはずです。
けれど、1年もやって疲れたのですから、もう十分頑張ったと自分を褒めたいくらいです。
それに、SNSをやめたとたん、不思議と承認欲求も収まりました。
僕には家族もいますし、少ないけれど友人もいます。
そんなリアルで関わる人を大切にすれば、それで十分なのだと思い直しました。
実際、僕がSNSをやめる決心がついたのも、妻に相談したからだったのです。
その時、見ず知らずの人に「いいね」されるよりも、何でも相談できる人が身近にいる方が、はるかに価値があると僕は心底感じました。
そして、自分にとって大切な人がいるという事こそが、いわゆる「幸せ」というやつなのかもしれません。
それからSNS辞めた現在ですが、かなりのメリットの方が大きいと感じたので、最後はそれらをまとめてご紹介していきたいと思います。
SNSをやめた方がいい理由
使える時間が増えた
まずは、SNSをやめたメリットとしては、単純に「使える時間が増えた」という事です。
実は、SNSの平均利用時間について調べてみたのですが、こんなデータががありました。
2020年「67.1分」から2021年は「77.8分」と15%以上増加していた。メディアでの“情報収集”だけでなく、SNSでの“情報発信”も活発化している様子がうかがえる。
参照URL:https://webtan.impress.co.jp/n/2021/08/03/41184
また海外でもこんなデータもあります。
アメリカ国民がソーシャルメディアに費やす時間は、1日平均で2時間3分にのぼります。これに加えて、仕事と個人のメールを合わせると、メールチェックには平均で1日6時間弱をかけているということです。
これでは、気がつくと丸1日が過ぎているのも無理のない話です。
参照URL:https://www.lifehacker.jp/article/how-to-fight-the-feeling-theres-never-enough-time/
つまり、SNSに没頭し続けると、必要以上に時間を浪費する可能性があるのです。
けれど、あえて辞めることによって、1日1時間以上の自由な時間を確保することが出来ます。
わざわざ、疲れることをするよりも、休む時間にあてた方が有意義といえるのです。
モラルのない人と関わらずに済む
また、SNSでは、好ましい意見もあれば、単なる誹謗中傷でしかない意見もたまに出くわします。
「嫌なものは見ない」というわけにはいかず、SNSを利用する限り、どこかで目にしてしまう確率は高いのです。
たとえ自分には関係ない所だとしても、他人への誹謗中傷は見ていて気持ちのいいものではありません。
それにその矛先がいつか自分に向けられたらと考えると、仮想敵となり「見えない敵と戦う」事にもなるでしょう。
けれど、そもそもやらない事で、不愉快な気持ちになる機会は減らせるのです。
そういう攻撃的な人と関わることがないという安心感は、まさにストレスフリーです。
虚しさが軽減する
SNSを続けていると、「いいね」やら「フォロワー」獲得のために、躍起になることがあります。
けれど、そんなことを頑張って、いったい何なるのでしょうか?
僕の場合、「いいね」がつくのは嬉しいですが、それは一時的な感情でした。
その先には「もっと”いいね”が欲しい!」とか「もっとフォロワーが欲しい!」という泥沼が待っているのです。
それは尽きることない欲望でもあり、同時に「虚しくなること」でもあります。
僕はギャンブルやアルコールは避けていますが、恐らくそういう類の中毒的な欲求に近い気がします。
大切なのは「現実の生活を過ごす事」であり、現実の生活を犠牲にすることではないのです。
SNS疲れの原因について 最後に
というわけで、以上が「SNSが疲れる原因」と「やめた方がいい理由」についてのお話です。
どちらの方が幸せなのかは、恐らく人によって異なるでしょう。
けれど、僕はやめた方が何となく幸せだと感じています。
もちろん、SNSがまったくダメというわけでもないとは思っています。
例えば、緊急性のある話題を検索する分には便利です。
あるいは、自分の商品なりを宣伝するためとか、コミュニケーションを取るためとか、そういう「使い方次第」にはなると思います。
ですので、僕はSNSというよりも、「承認欲求」との付き合い方の方が重要になるかと思います。
「承認欲求」というのは、「欲望」である限り、尽きることはないでしょう。
問題は欲求の満たし方であり、SNSだけにすべてを求めると、生活が犠牲になる恐怖を感じた次第です。
結局、SNSはただの道具でしかなく、「道具ばかりに頼ってはいけない」というセリフはドラえもんも言っているのです。
ですので、もし、僕のようにSNSに疲れたと思うならば、ある程度継続した後で判断してみてはいかがでしょうか。
というわけで、今回のお話はおしまいとなります。
みなさまのご参考になれば幸いです。