みなさんは、自分で目標を決めたり、誰かから「目標を立てろ」と言われた経験があるでしょうか。
僕自身も、今まで「目標」を立ててきましたが、結局のところ、「あまりいらないもの」だと思っています。
その一方で、大切になるのは目標ではなく、「目的」だと思っています。
というわけで、今回はそんな「目標」と「目的」についてお話していきたいと思います。
目的と目標の違いについて
まずは「目標」と「目的」の違いを明らかにしたいと思います。
「目標を立てる」というのは、そもそも「手段」の1つでしかありません。
最初に「達成したい目的」があり、次に「目的を達成するための具体的な目印」として、「目標」が立てられるわけです。
最終的なゴールが目的だとすれば、目標とはチェックポイントのようなものなのです。
それなのに、もし目的もなく、「手段(目標)」だけにこだわっていると、「何のためにしているか分からなくなる」恐れがあります。
例えば、「仕事で月の売上を5%上げる!」とか、「テストで90点取る」みたいな目標を立てたとしましょう。
では、仮にそれを達成したとして、どうなるのでしょうか。
その次も同じような目標を立ててを繰り返して、最終的に何を得ようというのでしょうか。
達成後は快感を味わうかもしれませんが、いずれ得るものがなくなれば、やる気も失われて行くでしょう。
そうではなく、「仕事を通じてもっと社会貢献するため」とか「テストでいい点を取る事で、さらなる学問の高みを目指したい」とか、そういった「目的」があれば、また次も頑張る事も出来るわけです。
そんな目的があれば、「今日も人のために仕事ができた!」とか「今日もまた新しい知識を覚えた!」のように、1日単位で目的が達成できるようになります。
つまり、そういう目的があった方が、一度の満足で終わらせない生き方が出来るのです。
それが「前向き」であったり、「やりがい」であったり、「生きがい」と言われているものになるでしょう。
ですので、何となくの「目標」を立てる生き方をするくらいなら、「自分にとって達成したい目的」があった方がいいのではないか、と僕は思っているのです。
なぜ目標がいらないのか
以上を見ると、もし目的が明確ならば、それを達成するために目標を立ててもいいのではないか、という考え方も出来ると思います。
では、なぜ僕が目標を否定しているのかについてもお話します。
それは、「目的の矮小化」を恐れているからです。
例えば、本当は自分がやりたくてやっている事なのに、目標を立ててしまうと、「目標」ばかりに気を取られることになります。
そうすると、「やらされている感」だったり「やらないといけない」という強迫観念が生まれる事もあるでしょう。
あるいは目標を明確にすることによって、「安心感」を得るだけで終わるかもしれません。
もしくは、「目標を達成できなかったこと」に対する自己嫌悪だったり、「どうやったら目標を達成できるか?」という本末転倒な思考にもなりかねません。
考えるべきは「どうやったら目的が達成できるか」なのに、「目標を達成する事が目的」という意味不明な現象も起きるでしょう。
つまり、目標を立ててしまうと、そればかりが気になるようになり、「目的という本質が見失われる」可能性が高まるのです。
くどいようですが、目標とは「手段」に過ぎず、手段というのは1つとは限らないのです。
例えば、お金欲しさに仕事をするなら、黙々とノルマを達成する以外にも手段はたくさんあります。
自分でビジネスを始めたり、投資をしたり、ブログを書いたりYotube配信するなど、今お使いのネットでも出来る事はたくさんあるのです。
それなのに、「目標を達成することだけ」に逃げ込んでしまえば、「1つの目標や手段」に拘ることで、大切な目的を見失ってしまう事を、僕は忌避しているのです。
また、「小さな目標を達成して少しずつ自信をつける」、という考えも僕は大嫌いです。
そもそも目的を達成するために自信など不要だからです。
それは自信と勇気を混同しているだけだと僕は思います。
ですので、そういう「まずは自信を身に着けてから」のような思考になった時点で、「手段の目的化」はすでに起きていると思います。
目的の持ち方について
というわけで、もし「目標が達成できない!」と嘆く人がいるとするならば、目標を立てるよりも、まずは「目的を考えた方が良い」と僕は思います。
そこで、次は具体的な「目的の持ち方」とは何かについて触れておこうと思います。
「人生に目的が欲しいけどどうすればいいか分からない」という方がいらっしゃれば、ご参考までに。
人生において優先したいことは何か?
目的の持ち方とは、例えば「自分の人生において、最優先にしたいことは何か」を考えることです。
もし、仕事よりも家族を優先にしたいなら、「家族のために仕事を頑張っている」という理由づけになるので、モチベーションも上がるはずです。
また、「趣味のため」に生きるならば、多少の賃金を犠牲にしてでも、余暇が確保できるような仕事選びになると思います。
あるいは「生活のために生きる」ならば、多少仕事が辛くても、我慢強く耐えたり、泣き言を言わずに頑張ることが出来ると思います。
他にも「夢のため」とか「困っている人のため」とか「世界のため」など、様々な「最優先にしたい事」があると思います。
そんな、自分が「大切にしているもの」がはっきりしていれば、「○○のために頑張っている」と胸を張って言える事が出来るでしょう。
また「楽しいからやっている」というシンプルな理由でも、それで十分だと思います。
もし、そんな目的があれば、それこそが「生きがい」となり、より前向きな気持ちになれるのではないでしょうか。
そして、目的を明確化したうえで、ようやく「手段」を考える手順に進めるのです。
手段とは、「どうすれば最優先事項を達成できるか」を考えることにほかなりません。
それはすぐに実行できるものもあれば、時間を要する事もあるでしょう。
例えば、他人から教わったり、既存のアイディアを流用させたり、自分でやり方を見つけるなど、独自の研究が必要になる事もあるでしょう。
また、時には手段をルーティン化して、ノルマや課題をひた向きにこなしていくというプロセスも必要になるかもしれません。
それが大変なことだとしても、「自分の優先したい事をする事」がある人生を、僕は送りたいと思っているのです。
大切なものの見つけ方
ただし、「自分が何を大切にしているのか」は、すぐに出てくる人もいれば、そうではない人もいるかもしれません。
僕の場合は「楽しいこと」や「家族」を大切にしていますが、人によっては大きく異なるでしょう。
ですので、「何が大切か」を考えるのは、「自分自身の問題」でもあり、自分と向き合わなければ分からない場合もあるのです。
そして、「自分と向き合う事」という事は、辛く、苦痛も伴うため、それから逃げる人も大勢います。
また、時には妥協しなければならなかったり、割り切れない事や、やりたくても忙しい日々に追われてできない、なんていう場合もあるでしょう。
そんな時、僕が考えるのは「もし数か月後に自分が死ぬとしたら、何をして過ごしたいか」という事です。
その際、「やっぱり、やらなくてもいいかな」と思えば、それは大切なことではないと思います。
逆に「やり残したまま死ねない事」があるならば、それこそが「最優先」にした方が良いことではないでしょうか。
目的と動機の違いについて
それでは最後に「目的」と「動機」の違いについても触れておこうと思います。
動機とは何かといえば、目的を持つようになったきっかけのようなものです。
しかし、僕は動機を考えても、あまり意味がないと思っています。
なぜなら、動機とは「自分が過去に○○をしたから」という経験であったり、「ふと疑問に思ったから」とか、ただ「何となく」である場合がほとんどだからです。
そういう「経験」や「何となく」というのは、自分で狙って手に入るものではありません。
また、同じ経験をしたとしても、得るものは人によって違うように、動機とは偶然の産物ともいえるのです。
そんな偶然に対していくら考えても「ただ過去にさかのぼるだけ」で終わりなのです。
その一方で、「目的」を考えることは、これからの自分はどう生きたいかという「前向き」な気持ちや意思が必要となります。
ですので、「昔、自分が○○を経験したから…」という過去を遡るよりかは、「今は何がしたいか」を考えた方が前向きになれるのではないか、と僕は思います。
というわけで、以上が僕の考える「目標」と「目的」、そして「動機」のお話はここで終わらせていただきます。
少しでもみなさまのご参考になれば幸いです。