僕は現在、主に自宅で仕事をしながら、家事や育児を中心とした生活を送っています。
兼業しながら主夫をする、いわば「兼業主夫」といったところでしょうか。
もともと、「主夫になりたい!」いう願望はなかったのですが、結果的にそうなったという感じです。
今回は、そんな僕が兼業主夫になった経緯と、現在の主夫生活についてお話していきたいと思います。
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僕が会社を辞めた理由
さて、僕は20代前半の頃は、とあるベンチャー企業で正社員として働いていました。
発足して数年程度の会社という事もあり、賃金は少ない上に長時間労働という環境でした。
なのでホワイトとは決して言えない環境ではありましたが、仕事自体はそんなに嫌いではありませんでした。
というのも、人間関係が濃密であったため、いい意味で連帯感を感じていたからです。
人数も少なく、社長や上司との距離が近いため、教わる事も多々ありました。
数名で共に苦難に乗り越えているという感じが楽しかったのです。
しかし、そんな社会人生活は、そう長くは続きませんでした。
残念ながらその会社は、僕が入社してから2年足らずで廃業となってしまったからです。
忙しい時期もあったのですが、主要の取引先からの受注が減り、赤字を回収するほどの利益は見込めなくなったようです。
というわけで、僕は社会人になってすぐに倒産を経験し、職を失う事となったのです。
会社が倒産した時に思った事
僕は悲しさもありましたが、特に大きな未練はありませんでした。
倒産ムードが漂っていた時は、すでに次の職場を考えていた人もいたようで、僕としても「また次の会社に勤めればいいや。」くらいにしか思っていませんでした。
まだ20代前半だったこともあり、やり直しはいくらでもきくし、むしろ若いうちにこういう経験が出来て良かったとプラスに捉えていたのです。(社長には申し訳ありませんが。)
その後、倒産した後は訓練校を経て、とりあえず近くの会社に勤めることが出来、ひとまず安心はしました。
しかし、それと同時にこうも考えました。
それは、「また会社が倒産したらどうしよう」というものでした。
もちろん、そんな確率はそんなに高くはないと思います。
しかし、僕が次に勤めた会社は、以前のベンチャー企業と重なる部分があったのです。
というのも、次の会社では、ちょうど新たな事業を起こして再起を図ろうとしていた時だったのです。
そこで、新入社員を募集しており、そこに僕が加入したという経緯だったのです。
つまり、安定した地盤がないところに、僕はまた勤めてしまったのです。
しかも、どちらも似たようなワンマン社長による縦社会であり、僕は嫌な予感しかしませんでした。
そのため、「また同じことの繰り返し」のようにしか思えず、僕は不安を覚えていきました。
主夫への転機
そんな不安を抱えた時、僕はこう思いました。
「会社勤めって本当はリスキーな事なんじゃないか?」
「自分でも何かしなきゃダメなんじゃないか?」
そんな事を考えるようになりました。
そこで、僕は「自力で稼ぐ方法ってないのかな?」と考え、調べるようになったのです。
思えば、それこそが、後の僕にとっての大きな転機だったと思います。
僕は副業などを調べていくうちに、僕は徐々にネットの情報に侵され始めていきました。
当時流行っていた「情報商材」やら「脱社畜」といった言葉に惑わされ、「会社勤めはオワコン」みたいな言葉に、踊らされるようになっていくのです。
その時に思ったのは、「ほら!僕の思った通り、会社勤めだけじゃダメなんだ!」という確信でした。
今思えば、非常に短絡的で危険な思想だったと思います。
しかし、当時はまだ若さもあり、「きっとネットで情報を発信する人を信じれば、僕でも独立できるんじゃないか!?」みたいな期待感を持つようになっていったのです。
そうなった理由として、かつての社長たちが、僕にとって非常に身近な存在だった事が挙げられます。
どちらも実力はあったものの、どこかに隙のようなものがあり、「そういう人でも独立できるんだったら、僕でもできるんじゃないか」、みたいな錯覚をしていたのです。
そんな様々な要素もあり、僕も自力でビジネスをやって見たいと思うようになっていったのです。
副業との出会い
さて、それから僕は、仕事を数か月でやめる事にしました。
その時はちょうど体調を少し崩していたため、それを理由に辞める事にし、早いうちに新しい事をしようと考えていたのです。
その時に、僕は人づてから、さまざまな情報を得るようになりました。
その情報はなかなか曲者というか、アムウェイやら転売やら投資やら、さまざまな「怪しい」分野が大半でしたが…。
結局、どれもしっくりこず、なかなか自分のビジネスとして成り立つとは到底思えませんでした。
そんな僕が最終的にたどり着いたビジネスは「ブログ」でした。
というか、何も持たない僕でも勝てそうな分野が、ブログくらいしかないと思ったのです。
そして、ちょうどそのタイミングで、地元でブログサイトの作り方を教えてくれるというビジネスサークルがあったため、僕はそこに加入したのです。
怪しすぎる副業の世界
ただし、そのビジネスサークルの額は入会金は法外で、数十万円単位でした。
常識的な観点からすれば、怪しいことこの上ないでしょう。
しかし、そういった「ネットビジネス」界隈では、そういう金額はもはや当たり前であり、僕は感覚がマヒしていた時期でもありました。
それに、「そういう人はどれほどの情報を持っているのか?」を、一度だけこの目で確かめてみたかったのです。
そして、僕は「これでダメだったら真面目に働こう」という思いで、その金額を払う事にしたのです。
副業での成果
こうして僕はかつてない集中力で、ブログを学ぶようになりました。
そりゃあ、数十万という大金を支払っているのですから、死ぬ気で元を取らないと悔やんでも悔やみきれませんからね。
そして、結論から言えば、僕は半年足らずでその金額をペイ出来ました。
これは運の要素もあったのですが、当時稼げるジャンルが確立していたため、その記事を書くだけで3か月くらいで高収入を得られたのです。
なので、僕は「自分って実は、スゴイ奴なのでは!?」などと大きな勘違いをし、「ブログでやっていけるぞ!!」という妙な自信を抱くようになっていったのです。
若気の至りの終焉
もちろん、そんなビギナーズラックでは、やはり長く続きはしませんでした。
1年程度で頭打ちとなり、その間で月収はみるみると減り、最終的にはわずか数万円程度まで落ち込んだのです。
その理由は非常に簡単て恐らくトレンドの衰退とライバルの増加によるもので、素人では太刀打ちできなくなっていったことが挙げられます。
しかし、その1年の間は収入があったので、僕はブログをしつつも、ある事を同時進行していました。
それは、恋活でした。
僕はこれまで1人の彼女も作ったことがなかったので、何とかしなければと息巻いた時期でもありました。
そして、僕はマッチングアプリを利用し、本気で彼女作りに挑んだのです。
すると、やはりその時は運が向いていたのか、意外とあっさり恋人が見つかりました。
ただ、僕が懸念していたのは「ブログで稼いでいる怪しいやつ」と思われてしまうかどうかというとこでした。
しかし、彼女は、僕の仕事について否定するわけでもなく、寛容な精神を持っていて、受け入れてくれたのです。
僕はそんな彼女が好きで、結婚するなら彼女しかないと思うようになりました。
ただし、いくら寛容とはいっても、月収が下がってしまえば僕自身も不安に襲われて行きます。
それから付き合って約1年後、彼女から2つの事を提案されました。
1つは、「それなりに稼いでいないと結婚は出来ない」という事でした。
もう1つの条件は「家事が出来ないとダメ」という事です。(家事に対しては、別記事で書いています。)
彼女は正社員として働いていて、仕事はやめる気はなく、共働き前提で結婚を考えていました。
その為に、真剣に正直にズバズバと厳しい事を言ってくれたのが、僕としてはものすごく響いたのです。
それを聞いてから、僕は考えを改め、本気で彼女と結婚するために、「何とかしないとまずい」と思うようになりました。
そこで、まずは収入面をどうすればいいか考えたのです。
残された切り札
しかし、収入面をどうにかする手段は、既に存在していました。
それは、「家業を手伝う」という選択です。
実は、僕の両親は自営業をしているのです。
なので、僕もそれを手伝えば、それなりに収入も安定し、普通に「自営業」という肩書を手に入れることが出来るのです。
とはいえ、僕は家業を継ぐのは全く気が進みませんでした。
休みは日曜日のみで、肉体労働だったからです。
僕はデスクワークの方が圧倒的に向いていたので、毎日立ち仕事をするというのは考えられなかったのです。
とはいえ、僕はもう「普通の社会人」としてやっていくよりかは、自営業の方が性に合っていることは重々承知していました。
となると、僕は家業に泣きつくほかなかったのです。
親を利用しているようで情けなかったですが、その分、僕は本気で実家に貢献しようと覚悟を決めていました。
家業を手伝った結果
こうして、僕は家業を手伝うようになり、それから数か月後に彼女と結婚に至りました。
幸い、実家から徒歩圏内にアパートがあったので、そこで妻と2人で暮らし始めました。
最初のうちは、僕は家業をフルタイム(9時~18時)で続け、「ブログはもうしなくていいかな」という感じでした。
共働きなので妻と家事も分担し、これで順風満帆、と言ったところでした。
ところが、それから数か月後に、また新たなトラブルが発生しました。
何と、父が思わぬ難病となってしまったのです。
この時はすべてが終わったと思ってしまいました。
しかし、父は不屈の精神で生気を取り戻し、闘病しながらも現在も家業を続けることとなりました。
ただし、その分仕事の時間は大幅に短縮し、3.4時間程度の時短勤務となったのです。
収入も減少したため、僕は悩み考え、再び「ブログで一旗揚げてやる!!」と息巻くこととなったのです。
結果的に専業主夫になった僕
それから現在は子供が産まれ、僕は「家業」と「ブログ」をしながらも、基本的には「家事・育児中心」の生活を送る専業主夫として生きる事となりました。
ライフスタイルとしては、午前中に家業を手伝い、午後から家事とブログを書いています。
子供も今では保育園に行っているので、平日は割と時間に融通が利く感じです。
ブログも必死で自分で戦略を考えて試した結果、運よく波に乗って収入もそれなりに安定するようになってきました。
また、家事育児も死ぬほど大変な時期はありましたが、周りが言うほど辛い事ばかりでもないです。
夜には妻と2人体制なのと、かなり育てやすい子が生まれたという事もあって、何とか助けられながらやっていけています。
元々こういう生活を思い描いていたわけではありませんが、今はこの生活に満足しています。
ただ、父の心配や、今後の家業はずっと続けられないという不安はあります。
ブログも不安定そのものであり、利用規約の変更やトレンドの変化、広告の停止など、不安材料は多いです。
しかし、それでも家族の為に何とかしなければならないのですけれどね。
悩んでいても仕方がない
そんな僕が最近になって思うのは、悩もうが不安を覚えようが、時は待ってくれないという事です。
以前は、いつまでも不安が続いて眠れない時期がありました。
しかし、結局今のような生活が出来ているのですから、きっと何とかなるという風に考えるようにしています。
というよりも、不安が多すぎて、逆に不安が当たり前になり、それにいちいち怯えるのが面倒くさくなったのです。
気付けばあっという間にアラサーとなったのですから、きっとあっという間に40代、50代になるのでしょう。
その間、不安におびえながら年を重ねるのか、楽しもうとして年を重ねるのかは、天と地ほどの違いがあると思います。
もし家業やブログで食べていけなくなったとしても、バイトでもパートでも就職でもして、何としてでも生活するつもりです。
というわけで、以上が僕が正社員をやめて専業主夫になった、というお話でした。
また他の記事でお会いしたく思います。