ドラマ・イチケイのカラスが面白かったので感想を書く!

イチケイのカラス

僕は今まで月9=恋愛トレンディドラマだと思っていたのですが、まさかの恋愛ゼロの裁判モノドラマが登場しました。

それが「イチケイのカラス」。

 

これは結構昔にモーニングで連載していて、僕はちょうどリアルタイムで読んでいました。

しかしドラマ化と聞いたとき、僕は驚きました。

 

というのも、僕は原作はかなり好きだったのですが、唐突に終わりを迎えるという、いわゆる「打ち切り漫画」だったからです。

当時は、「打ち切られるという事は、やっぱりつまらなかったのかなぁ」と、僕は嘆いていました。

 

しかし、ドラマ化という復活を果たし、僕は「ちゃんと評価されたんだ!!」と喜び、ぜひ視聴しなければという使命感を持ちました。

というわけで、今回はドラマ、「イチケイのカラス」が面白かったポイントを4つに分けて、感想を書いていきます。

 

イチケイのカラスの魅力① 信念を曲げない事

このドラマの個人的な魅力の1つは、なんといっても、入間みちおのひた向きな姿勢です。

それこそがストーリ中終始一貫していて、この物語の象徴ともいえる部分でしょう。

 

「正しい裁判をする」

「真実を知りたい」

 

その2点のセリフが特に印象的であり、それこそが彼の信念を象徴していると思います。

それに、彼は裁判という仕事が好きで、誇り持つという姿勢も、その人柄として現れています。

 

では、なぜそれが彼の魅力なのでしょうか?

 

それは、一方的に罪人と決めつけず、被告人と被害者の両方と向き合い、公正と平等を大切にしているからです。

こと現実の社会においては、公正や平等はどこへやらですが、あくまで裁判所ではその2つが重んじられます。

いや、重んじられなければ、何のための裁判なのか分からないのです。

もしも、政府や上からの圧力によって、事実が捻じ曲げられようとすれば、それこそ大問題です。

作中では、何度もそんな危機に直面します。

 

しかし、みちおは、そういった権力に屈しないというか、むしろ全く相手にしないのです。

終始、「自分には全く関係ない」という姿勢を崩さないのです。
(最終回は仲間をかばうシーンもありましたが。)

 

そうした周囲の雑音に耳を貸さず、「必要とされる意見を必要な分だけ」を追い求めていくのです。

それこそがみちおの言う「正しい裁判」であり、終始一貫してブレずに公平を保つ姿に、魅力を感じるのです。

 

ちなみに、他局ドラマの話になりますが、そういった姿勢は、不正を絶対に許さないという「半沢直樹」にも通じるところがあります。

しかし、半沢直樹と違うのは「いろんな視点で物事を見ようとする」という姿勢と役割の違いでしょうか。

 

入間みちおはあくまで「裁判官(長)」ですので、私刑はもちろん禁止です。

共通する部分は、「自分の信念を曲げない」という所であり、それが半沢同様の「ヒーローたる姿」なのでしょう。

 

イチケイのカラスの魅力② 坂間千鶴の存在

では2つ目の魅力、坂間千鶴の存在です。

彼女は最初「優等生だけど頭でっかち」というタイプで登場します。

 

最初に見た時は、入間みちおよりも、彼女こそが、僕にとっての「ザ・裁判官」のイメージでした。

例えば、理論的に物事を考え、個人の感情を表に出さず、淡々と業務をこなすというイメージです。

あるいは、第6話でバカリズム演じる岸田茂が言うように、「高学歴で下の人間を見下す」ような存在です。

 

そういった「裁判官」に対する僕の偏見=坂間千鶴でした。

 

そんな彼女は入間みちおとは対極をなすため、最初の方は事あるごとに衝突し、千鶴は嫌悪感をあらわにします。

しかし、みちおの終始一貫した言動、そして「正しい裁判」に影響され、彼女の心にも徐々に変化がみられていきます。

 

視聴者である僕も、そんな彼女のように、みちおに「裁判官の理想的な姿」を見出しました。

つまり、坂間千鶴とは視聴者が「自己投影」出来るような姿で描かれていたのです。

 

坂間千鶴を通して、僕も次第に「みちおを見守る会」となってしまっていたというわけです。

こうした相反する存在を作り出す事で、物語の展開をより分かりやすくさせているのだと思います。

よって、「坂間千鶴」の存在は、視聴者にとって必要不可欠だったと言えるのです。

 

また、安易に恋愛に発展させず、「師弟関係」で終わらせたことにも、美しさを感じました。

みちおの精神は、最終回できっちりと千鶴に引き継がれて行った事に、僕は感動しました。

 

イチケイのカラスの魅力③ ストーリーの構成

3つ目の魅力は「全体的なストーリーの構成」です。

最初の数話、この物語の冒頭では「被告人」はあたかも「明らかな犯罪者」として登場してきます。

僕も最初は「絶対こいつ有罪だろ!」みたいな視点で被告人が罪を犯すシーンが出てくるのです。

 

しかし、みちおが真実を明らかにすることで、被告人にも理由があった事が分かります。

すると、僕も「自分は何も考えずに決めつけてしまっていた…」という事に気づかされます。

 

そして、僕たちは、このドラマをみて、回を追うごとにこう思ったはずです。

 

「きっと、被告人にも”必ず”理由があるはずだ」

と。

 

そして僕たちはいつの間にか

「職権を発動します」

の台詞を待つようになるのです。

 

そんな風に僕たちが訓練されて行くのを見透かすように、途中で「裁判員裁判」が始まります。

この裁判員裁判たちは、まるで「ドラマ視聴前の自分」のような存在です。

なので、裁判員である彼らも「きっとこうだろ」というような決めつけをしてくるのです。

 

しかし、その頃には視聴者は「みちおを見守る会」目線で、裁判員である彼らを見守る事が出来るようになっていると思います。

こうした、「視聴者の視点」を意識したストーリー展開は非常に巧みだと感じました。

 

イチケイのカラスの魅力④ 逆転劇を描いたドラマではない

さて、4つ目の魅力、それは「安易な復讐劇で終わらなかった」という最も評価すべき点です。

最終回は僕にとって「ふさわしいラスト」だったと思います。

ところが、その時の評価を見ると、意外と「地味だった」とか「盛り上がりに欠ける」という意見をよく見かけました。

 

そこで、なぜ評価が分かれてしまったのかを僕なりに考えました。

 

恐らく、その理由は「逆転劇」を望んでいたかどうかの違いという点です。

というのも、このドラマには、最後で戦局をひっくり返すという展開が見られます。

そんな展開をを見せる代表的な作品は、先ほどにも挙げた「半沢直樹」があります。

半沢直樹はとてつもないインパクトを与える「復讐」が売りであり、物語の根幹でもあります。

そこで、半沢視聴者は、「イチケイのカラス」にも「インパクトのある逆転劇」を待っていたのではないでしょうか?

 

一方、イチケイのカラスは、「爽快感のある逆転」はありませんでした。

テーマとなるのは、「真実を知る事」と「正しい裁判をする事」だからです。

つまり、イチケイのカラスは復讐劇でもないし、逆転劇を描いたわけではないのです。

だからこそ、そういった盛り上がりがなかったのです。

 

というか、むしろ「逆転劇を描いてはダメだった」と僕は考えています。

なぜなら、もし日常における裁判を、半沢直樹のようなフィクションとして楽しんだらどうなるでしょうか?

恐らく、裁判を1つのエンターテイメントとして見る人も増えたかと思います。

そんな風に「裁判を劇場化しないため」にも安易な「復讐劇」にしてしまってはいけなかったと言えるのです。

 

「逆転裁判」というゲームのような過度なフィクションならまだしも、ドラマはリアリティが売りなわけです。

実際の裁判とは、人の人生を左右する、非常に重いものなので、決して「楽しんではいけない」ものだと思います。

 

ですので、そんな裁判の重みを蔑ろにしないためにも「復讐劇にしなかった」と考えられるのです。

 

したがって、最後まで一貫したテーマにふさわしいラストで、僕はただただ感動した次第でありました。

 

イチケイのカラスから感じたメッセージ

というわけで、以上、4つの魅力としてご紹介しました。

しかし、5つ目の魅力が見つかったので、最後に紹介させてください。

 

それは、「イチケイのカラスは何を一番訴えたかったのか?」という点です。

 

僕が思ったのは、「真実に向き合うという勇気を持つ事」です。

 

というのも、ラスト付近の展開では、政治家や大企業につとめる大人たちが不正を働き、事実を隠ぺいをしようとしていました。

 

しかし、最後は「幼い子供の証言」によって、隠ぺいしようとした周囲の流れきく変えました。

それから、改心した大人たちは、「本当の発言」をし、ようやく真実が明るみになっていきます。

 

これはつまり、大人であったとしても「子供のようなまっすぐな心」を持ってほしいというメッセージがあったのではないかと僕は感じたのです。

 

僕たちは、子供の頃は嘘が嫌いだったり、不正を働く人を憎むという正義義感を抱いていたと思います。

ところが、大人になるにつれ、都合の悪い事を隠したり、見ないような生き方をするようになっていきます。

 

しかし、入間みちおからは、そういった「大人の汚さ」を一切感じません。

実際、入間みちおの言動は、終始どこか「子供らしさ」を感じられる部分が多かったです。

 

例えば、イタズラをしかけたり、負けず嫌いであったり、愚直であったり、素朴な疑問を真剣に考えたり…。

そんな「子供らしさ」というのは、実は大人になっても必要なものではないか、と感じるのです。

 

もちろん、全員が全員、彼のようになったら、仕事はたまる一方で、物事はゆっくり進んでいくかもしれません。

けれど、一生懸命頑張り続けることもまた、大切なことを見失ってしまうのではないかという危険も感じます。

 

だからこそ「自分にとって大切なもの」という「真実に向き合う事」と「その勇気を持つ事」こそが、この物語での最大のメッセージと僕は思ったのです。

 

イチケイのカラスの感想 おわりに

というわけで、僕の感想はここまでとなります。

最初に4つと言いながら5つも書いてしまってすみません。

まさか、あのトレンディドラマ枠であるはずの月9で、これほど面白いテーマを取り扱ってくれたのは、非常に嬉しかったので、書いている途中でテンションが上がってしまいました。

 

漫画の内容もかなり面白かったと記憶していますが、またこの機会に読み返したいと思います。

 

ちなみに、漫画だと坂間千鶴に当たる人物は男性で、名前も「坂間真平」となっています。

公式サイトを見ると、そのあたりの変更は、きちんと原作者の許可も取られているそうです。

 

あと、アイキャッチのカラスが黒くなくカラフルである理由は、きっと「何色にも染らない」という意味なのでしょう、と勝手に思っています。

 

というわけで、読んでいただき、ありがとうございました。

また別の記事でお会いしましょう。