ゲームは何も残らない? ただの時間の無駄なのかを考える

ゲーム

ゲームをしているとき「虚しさ」に苛まれたという経験がある方は、僕以外にもいらっしゃるかと思います。

虚しさを感じると「ゲームは時間の無駄なんじゃないか?」という疑問になり、やる気が途端にうせてしまうと思います。

 

果たして、ゲームは本当に何も残らないのでしょうか?

今回は、それについて考えていきたいと思います。

 

ゲームをする意味とは?

ゲームには、どんな意義があるのでしょうか?

「社会的な役割や、人の役に立つのか?」という点で見れば、社会的な価値はないと思います。

 

プロゲーマーなら話は別かもしれませんが、僕のような一般ゲーマーがいくらゲームにいそしんだところで、誰からも評価されることはありません。

 

そう考えると、やっているのも無駄だと感じるし、虚しくなることもあるでしょう。

 

しかし、そんなことを言い出せば、趣味そのものを否定することになります

ゲームのみならず、読書やスポーツ、映画や音楽鑑賞なども、形として何も残らなければ意味がなくなることになります。

 

けれど、形として残るものがすべてではなく、思い出や記憶として残る事も、重要ではないでしょうか。

 

また、そもそも趣味とは、「楽しみとして愛好する事」です。

そこに「社会的な価値を求める必要」はあるのでしょうか。

 

いいえ、趣味とは他人の役に立つことを考慮する必要がなく、自分の為に自分を使う大切な時間です。

自分が好きな事をするために時間を使っているのですから、それだけで意味となるのです。

 

人生を楽しむための手段

逆に、もしゲームが有意義じゃないと思うのならば、さっさとやめてしまえばいいだけの話なのです。

しかし、「楽しい」と思うのならば、それでいいのではないでしょうか。

 

僕自身も、人生には辛い事も多く、辞めたくなることが多々ありましたし、嫌なこともたくさんあります。

しかし、それでも「楽しいと思える事」があるからこそ、僕は投げ出さずにやれているのです。

 

もし、そんな楽しい時間を無駄だと切り捨てるのは、生きる気力の否定ではないでしょうか。

ゲームとは、長くつまらない人生を少しでも楽しめる手段となるのです。

 

もちろん、これはゲーム以外の趣味にも言えるでしょう。

 

例えば、世の中にはあまり表立って言えないような趣味を持っている人がいるのを、僕は知っています。

そういう他人の趣味と言うのは、えてして理解できないものであり、「時間や金の無駄だ」と非難することは非常に簡単です。

 

とはいえ、「じゃあ有意義な事って何?あなた有意義な事しかしないの?」などと切り返されれば、反論は中々出来ないものではないかと思います。

 

しかし、他人に多大なる迷惑をかけるわけでもない趣味ならば、純粋に胸を張って楽しんだもの勝ちではないか、と言うのが今回の結論なのです。

 

「楽しい時間」という、人生でかけがえのないものを手に入れているという事は、時間や金の無駄とは言えないのです。

 

やり過ぎには注意が必要

ただし、いくら「楽しいから」と言って、好きなことばかりするというのは、注意が必要だと思っています。

 

人生は楽しい事ばかりではなく、時としては「やらざるを得ない事」も多々あるからです。(大人になれば、税金を納めたりとか。)

 

また、いくら精神的に満足したとしても、食べなければ生きていけないので、ある程度社会的な事もしないといけないでしょう。

 

ですので、趣味だけに生きるのではなく、あくまで「実生活」が主体である方が望ましいと僕は考えています。

 

もしも、実生活を崩壊してしまうほどのめり込んでしまえば、楽しいどころじゃないでしょう。

 

ですので、あくまで実生活を頑張りつつも、趣味でストレスを発散するなど、バランスを取るのが何よりではないかと僕は思っています。

 

というわけで、今回のお話はおしまいとなります。

みなさまのご参考になれば幸いです。