僕は大学を出ていない専門卒なので、世間一般で言われる低学歴なのでしょう。
しかし、僕は低学歴という言葉は人を馬鹿にしているようで、嫌いな言葉でもあります。
実際、「低学歴」という言葉をネットで調べてみると、サジェストが罵詈雑言で埋め尽くされ、中には「人生終了」などというショッキングなことまで書かれていました。
では、それほどまでに立派な学歴とは、どのような役に立つのでしょうか?
学歴を盾に、他人を見下すためでしょうか?
あるいは自分の正しさや能力の高さ、または存在価値を証明するためでしょうか?
もし、学歴の利用価値がその程度であれば、僕は高学歴である必要性を感じません。
もちろん、僕はそれが学歴の正しい使い方だとはみじんも思いたくはありませんが…。
では、学歴の本来の利用価値とは何でしょうか?
今回は、そんな学歴の価値や意味について考えていきます。
学歴の大きな役割
まず、僕たちが学歴によって大きく左右されることがあります。
それは「就活」です。
就活の際、入社条件が大卒以上という企業は多々あるように、学歴が高くないと大手の企業から相手にされないことがあります。
ですので、自分の勤めたい企業があるならば、それに見あった学歴が必須といえるのは事実です。
そう考えると、確かに学歴があった方が大企業に勤められる可能性は高く、低学歴では大企業に勤める事はほぼ不可能といえるでしょう。
学歴の使い道は少ない?
では、大企業への就活以外に、高学歴である必要はあるでしょうか?
僕はそれを考えてみましたが、就活以外に有用な利用方法が見つかりませんでした。
そう考えると、学歴とは「企業への就職でしか役に立たない」とも言い換えられます。
別に誰もが大企業を目指す必要もなく、世の中には学歴不問な仕事もたくさんあるでしょう。
ですので、特に「あの企業に勤めたい!」などといった目的がなければ、別に高学歴である必要もないという事が言えるのです。
なんだったら、中小企業に勤めて人生が上手くいっていると感じるのであれば、それで十分だと僕は思うのです。
中小企業にも価値がある
ところが、世の中には低学歴はおろか、中小企業すらも馬鹿にする人もいたりします。
しかし、実は、中小企業にも大いに価値があるのです。
例えば、日本企業における中小企業の割合は極めて高く、経済はほぼ中小企業が支えているといえるのです。
日経新聞では以下のような文面があります。
2016年の経済センサス活動調査によると、個人事業主を含む中小企業は企業数で全体の99.7%、従業員数で68.8%を占める。中小企業の経営状況の悪化は日本経済に直結する。
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO59317670Z10C20A5EA2000/
また、中小企業の重要性は、日本に限らずアメリカや中国でも同様です。
以下、ニュースサイトより引用します。
様々な問題や危機に直面しながらも、ずっと世界のナンバーワンとして君臨し続けているアメリカ経済界は、中小企業によって支えられていると言っても過言ではありません。
雇用者数の割合を比較してみても、大企業よりも中小企業が果たしている役割が高いことが分かります。
新規雇用者全体の60パーセント程度が、中小企業によるものであるとされ、それだけ中小企業の市場規模が大きいのです。
中国の雇用全体の約8割を占める中小企業は同国経済の重要な位置を占める
https://www.sankeibiz.jp/macro/news/200228/mcb2002281232028-n1.htm
つまり、大企業に勤められなかったとしても、経済を担うという意味では中小企業への就職にも大いに価値があると言えるのです。
その一方で、もし中小企業が貧弱だったら、大企業に勤める術しかなく、学歴は必須とされる社会となるでしょう。
例えば、韓国では中小企業が弱いため、二極化した格差社会となっているのは周知の事実です。
もし、日本でも中小企業が弱小であれば、韓国のように超学歴社会となっていたかもしれません。
しかし、幸いな事に、日本では中小企業もある程度安定した賃金を貰えるわけで、ひどく苦しむような生活を送る事はあまりないのです。
したがって、各々が就職できる場所で勤めればそれなりの生活を送れるわけですから、なにも「高学歴が絶対」なわけではないといえるのです。
つまり、大企業に行きたいと思う人は勉強に励めばいいし、そう思わなければ学歴がどの程度必要なのかを考えて、身の丈に合った行動すればいいだけの話なのです。
なぜ学歴社会なのか?
では、なぜこの世の中は学歴によって就職が限られてしまうのでしょうか?
その理由は色々考えられますが、明確な答えは探しても見つかりませんでした。
調べたところで言えば、例えば、大企業が人を雇うときの「目安」として採用された基準であるとか、「身分制度」に代わるものが学歴だったとかいろんな説がありましたが、どれもハッキリとした根拠はありませんでした。
そう考えると、「大企業は低学歴の人間を雇ってはいけない」などというルールはないのですから、仕事と学歴は関係ないといえば関係ないのかもしれません。
とはいえ、誰もこの学歴社会に対し異を唱える人はほぼいないので、もはや「ただの慣習」ともいえますし、学歴に変わる採用基準がないからこそ、こうして現在も続いているとも言えます。
そして、この慣習はそう簡単に変える事は出来そうもないので、新しい時代が到来するまでこの学歴社会は当分続くことになるでしょう。
低学歴を悩む人へ
さて、ここまで読まれた方の中で、もし、僕のように低学歴をコンプレックスにしている人がいたとすれば、ご安心を。
低学歴だからと言って、仕事ができないとか、能力が低いとか、人間性に難があるとか、そういう事は関係なく、ただの偏見でしかありません。
世の中には家庭環境によって十分な教育が与えられない人もいるわけで、それをただの「本人の能力不足」などと片付けるのは安直と言わざるを得ないのです。
あくまで「学歴が低い=就職の間口が多少狭まる程度」であり、それ以上でもそれ以下でもないのです。
それでも何とか仕事にありつけるように努力する方が遥かに有益であり、どんな仕事に就いたとて優劣はないので、恥じる事は一切ないのです。
それよりも仕事で重要なのは、「他者貢献による実績」であり、実績は学歴関係なしに積み上げる事が可能なのです。
過去を嘆くよりも、今を頑張る事の方がはるかに有意義だという事に違いはないでしょう。
ただし、学生のうちは実績を作るのはそう簡単なことではないので、まずは勉強してその土台を身に着けましょう、といったところでしょうか。
その実績の証拠となるのが「学歴」なのかもしれません。
学歴よりも重要な点
ただし、学歴うんぬんではなく、「勉強する事」は大事だという点については触れておきたいところです。
たとえ体を使う仕事であっても、頭を使って作業手順を覚えたり、効率化する方法を考えたりすることは多々あるでしょう。
または、仕事をする上で能力不足を感じたり、思うようにいかない事もあるでしょう。
そういう時、僕たちは「どうすれば上手くいくか?」を考え、予想をたて、実践して、結果を見る、と言う一連のプロセスをたどることがあります。
これこそが、勉強といわず、なんというのでしょうか。
机に向かうだけが勉強ではなく、僕たちは知らず知らずのうちに生きるために勉強をしているのです。
しかし、こうした勉強は非常に有益にも関わらず、学歴には一切反映されないところでもあります。
なので、いくら頑張っても形にはならないため、達成感や結果も実感をしにくいです。
しかし、そうした努力の積み重ねは、確実に成長へと繋がります。
すぐには結果が出せなくても、いずれはその過程は人生の大きな実りになるのです。
実際、社会人になってからでも勉強は遅いという事は全くなく、人生をより良い方向へ変えることも可能だったりするのです。
実例として、下記のブログをご紹介させていただきます。
ひきわけブログ~中卒が大手企業で働いてみた~
技術を学び、経験する事で資格の取得につなげたり、ITスクールなどを利用して勉強する事も可能なのです。
ですので、勉強は学生の内でおしまいではなく、社会人になってからも重要なことだと言えるのです。
大学に行く事のメリット
ただし、僕は別に大学に行くこと自体を否定しているわけではありません。
ここまで話したのはあくまで「学歴」だけにフォーカスした話であり、学校に行く事とはまた別の事だという事を明記しておきます。
僕としても、大学に行けるものであれば、行ってみたかったとは思います。
なぜなら、大学に行けばより多くの事が学べる機会があるわけで、知識が増えれば増える程、思考も行動も、もっと豊かなものになりえるからです。
「学歴」とは履歴書に書くものでしかないですが、「大学に行く事」のメリットは計り知れないのでしょう。
しかし、そうはいっても、僕にとっては結局、ないものねだりに過ぎないのです。
そもそも僕は「学校の勉強」というのが嫌いで、「目的なく教え込まれる」というのが非常に苦痛だったのです。
ただし、学歴は手に入らなくても、独学によって知識を得るという方法は残されています。
幸いネットや書籍を手に入れる環境はあるので、限られた時間で自分で何を学ぶかを選択し、日々努力することはできます。
よって、もし大学に行けなかった事を後悔しても「今何をした方がいいか」を考え、実践していく他ないのだと思います。
高学歴にもコンプレックスは存在する?
さて、先ほど少し触れた「コンプレックス」についてですが、これは何も低学歴の人だけが抱えている問題ではなかったりします。
世の中には低学歴コンプレックスのみならず「高学歴コンプレックス」というのもあるそうです。
能力の高さを過剰に期待され、その結果プレッシャーになるという現象が起きるのだそうです。
しかし、低学歴だろうが高学歴だろうが、そもそも人の生き方に学歴は不要です。
就職の為にしか使わないんですから、それ以外の能力については別に学歴は関係ありません。
というか、人の能力を全て数値化するのは出来ませんし、テストだけでは測れない事なんて多々あるのです。
就活のための1つの指標が学歴というだけの話なので、それが全てなわけがないでしょう。
よって、高学歴だけが人生のすべてではありませんし、冒頭にも示した「低学歴は人生終了」などとは絶対に言わせないのです。
また、僕たち人間というのはどうも数値にこだわるようで、学歴以外でも、「お金」であったり、「友達の数」であったり、SNSにおける「フォロワー数」などと、目に見える形で何かを求めようとしがちです。
もし、お金がなければ、お金持ちにコンプレックスを抱き、自尊心が低ければ、インフルエンサーや芸能人にコンプレックスを抱くものなのです。
そんな風に、僕たちは常に何かが欠けているもので、もし学歴が満たされたとしても、また違うところでコンプレックスが襲ってくるのではないでしょうか。
また、そんなコンプレックスに悩まされた結果、他人に対してやたらと攻撃的になったり、見下す事につながっていくとも考えられます。
そんな不毛な悩みに襲われるくらいだったら、どうすればコンプレックスから解放されるのかという根本的な問題を掘り下げていく必要があるのではないでしょうか?
その為の方法が勉強であり、僕たちは考えて実践して結果を顧み続けるという事くらいしかできないのです。
というわけで、「学歴の価値や意味」の考察はこの辺で終わりにしたいと思います。
皆様のご参考になれば幸いです。