学校に行かないとどうなる?学校に行く理由とは何かを考える

gakkou

僕たちがごく当たり前のように行く学校。

けれど、そんな時ふと、「なぜ学校に行かなければならないのだろうか?」という疑問を持つ方も中にはいらっしゃるかと思います。

また、本当はいくのが嫌だけど、「行かないといけない」という義務感に苛まれている方もいらっしゃるかと思います。

 

では、そもそもなぜ僕たちは学校に行くのでしょうか?

そこで今回は、「学校に行く理由」と「学校に行かないとどうなるか?」を、考えていきたいと思います。

 

なぜ学校は行かなければならないのか?

そもそも学校は、「必ず行かなければいけない」、というわけではありません

極端な話、小・中学校のうちから不登校となっても、自動的に卒業となるのです。

 

例えばこちらのサイトを参考にすると、以下の記述があります。

不登校でも中学は卒業できるのか?という問いの答えがこちらです。

結論から言えば、卒業できます。

極端な例を挙げれば、中学校に入学さえしていたら、1日も登校しなかった生徒でも卒業できるのです。

なぜなら高校と違って中学校では、出席日数は、進級や卒業を認定するうえで絶対に必要な条件ではないからです。出席日数が少ないから中学2年生、3年生に進めない、卒業できない、ということにはなりません。出席日数は進級・卒業の要件ではないのです。

中学生の不登校 ~不登校でも中学は卒業できる?~

 

 

また、教育委員会や、政府の公式ページを見ても、「小中学校の不登校」についての明確なルールは存在していませんでした。

政府広報オンライン 子育て・教育:子育て(児童・青少年)

(外部リンク)

 

 

文部科学省 不登校児童生徒等又は療養等による長期欠席生徒等を対象とする特別の教育課程を編成して教育を実施する学校に関する指定要項

(外部リンク)

 

ですので、別に学校に行かなくても、卒業できますし、特に罰則はないのです。

というか、学校に行けなかった人は罰どころか、むしろ学校や政府側の問題でもあるため、学び直す機会を与えた方が良いという姿勢が重視されているのです。

 

もちろん、高校はいわずもがな、出ても出なくても自由であり、本人の意思や学力によって選択ができるのです。

 

よって、「学校に行かなければならない」というルールはなく、「行かない」という選択も可能というわけです。

 

しかし、「学校に行かないのは、義務教育違反にならないのか?」という反論もあるかと思います。

ですので、次に「義務教育とは何か?」という点を見ていきたい思います。

 

義務教育とはなにか?

まず「義務教育」というのは、子供の義務ではなく、「親の義務」です。

その「義務教育」で問われるのは、「子供が学校に行ける環境にあるかどうか」という事です。

 

どういうことかといえば、例えば親が子供を虐待して学校に行かせなかったり、働かせに出してはいけない、という事を意味します。

 

つまり、親が学費を払わなかったり、学校に行かせず、仕事をさせたり、商売を手伝わせたりすれば、それこそが「義務教育違反」となるのです。

 

ですので、子供が自分の意思で不登校になれば、それは義務教育違反とはならないのです。

 

ただ子供にあるのは、「教育を受ける”権利”」です。

そんな子供の権利を、誰も奪ってはならないという事が「義務教育」として定められているというわけです。

 

学校に行く意味はある?

以上の事から、「学校は行かなくても問題がない」といえるのです。

 

では、「行かなくてもいい」はずの学校へ、なぜ僕たちは行くのでしょうか?

 

そこで考えるのはそもそも「学校の役割は何か?」という点です。

というわけで、次は学校の役割としてのメリットを、まずは勉強の面から考えていきましょう。

 

学校に行くメリット

まず例えば、国語では自国の言語や文化を学び、算数では足し算引き算を習います。

何故かといえば、日常生活において、国語を学ばなければコミュニケーションに不自由するし、算数を学ばなければ計算が出来なくて、不便な思いをするからです。

 

また、理科や社会を学ばなければ、世の中の原理や仕組みも何も分からないままですし、身の回りの危険にも気づきにくくなります。

 

ですので、日常生活をするためには、何らかの知識が必要となるため、まずはそれを教わるために学校が存在するのです。

 

けれど、もし、みんなが学校に行かず、「言葉や計算が分からない人だらけ」となってしまえば、社会は発展するどころか、衰退してもおかしくはありません

そうならないために、最低限の教育が学べるように、小中学校は義務教育として定められていると考えられると言えます。

 

勉強は役に立たないのか?

しかし、とはいえ「この勉強が何の役に立つのか?」という疑問を持つこともあると思います。

例えば、高度な内容になったりすると、「日常では使わない知識には意味がないのでは?」と思う事もあるでしょう。

歴史や古文、微分積分とか、何の役に立つのか分からない事もありますよね。

 

では、本当に「日常で使わない知識は必要ない」のでしょうか?

 

もちろん、それは一理あると思います。

実際、僕は特に高度な知識もないけれど、大人になってもこうして生きていけていけてますし。

 

それに、学ぶための時間や能力にも、人によっては限りもありますので、「ただ知識を得ることだけがすべてではない」はずです。

 

しかし、その一方でこうも考えられます。

 

それは、「その知識をどう生かすか」という視点です。

 

例えば、より高度な国語を学べば、コミュニケーションの向上にも役立つし、難解な言葉や表現や概念を理解することも可能となるでしょう。

また、数学や理科を深く学べば、複雑なモノづくりが可能になるはずです。

 

他にも、古文や歴史を知れば、日本の文化や、現代までの成り立ちが分かり、自分が今どんな時代を生きているかという人生訓となったり、現代と比較して新たな問題に気付くことが出来るかもしれません。

 

その上で、世界史を学べば世界と自国との違いを理解することにつながり、さらに英語などの言語も学べば、自国にとらわれず、より自由な生き方も可能になる・・・、というわけです。

 

つまり、高度な勉強をすることで、自分の出来ることや技術が増え、より豊かな生き方につながる可能性が生まれるのです。

 

その為には「意味もない事をただ学ぶ」のではなく、「一見意味がなさそうだけど、その知識をどう生かすか?」という視点が必要になるのではないでしょうか。

 

それが出来れば、学ぶ必要は大いにあると言えますし、知識を積極的に活かそうとする人にとっての「学校」は素晴らしい教育機関と言えます。

 

学校は人間関係も学べる

また、学校では勉強以外にも、別の事を学ぶことが出来るのもメリットです。

例えば、委員会や部活動に参加したり、同級生などと関わる事で、さまざまな人間関係や共同生活のルールも学ぶことが出来ます

人間は一人では生きられない生き物であり、「人間関係」は生涯にわたって、切っても切り離せないものだと思います。

ですから、それを早いうちから学んでおくに越したことはありません。

 

そんな人間関係を円滑にするため、校則や社会のルールを守ったり、敬語や態度などが、学校では学べるのです。

体育や部活動では、いわずもがな体力の向上や、趣味や才能の開花の一環となるでしょう。

 

以上のことから、学校で勉強することはもちろん、その中での人付き合いや、何らかの活動に参加することは、大いに意味がある、といえるのです。

 

学校に行きたくないという人

さて、以上が学校のメリットです。

上記の文面を見て、「確かに学校は行った方がいいかもしれない」と思っていただければ、この後のお話は読む必要がないかもしれません。

 

ただし、学校には良い面もあれば、「デメリット」も存在しているのです。

というわけでここから先は、「学校に行きたくない人」あるいは「学校にいけない子を持つ人」向けに書いていこうと思います。

 

恐らく、「学校に行きたくない」という方は、メリットよりもデメリットが上回っているからだと思っています。

 

そのデメリットとは、例えば学校では、授業内容をよく理解していない生徒がいるにも関わらず、置いてけぼりにして、どんどん先へ進む側面があることです。

そうなると、勉強が苦痛になったり、「自分はバカなんだ」と自虐的に思ったりして、勉強が嫌いになってしまう可能性を産むのです。

 

また、クラスに馴染めなかったり、いじめが起こったとしても、先生や学校の対応があまり誠実でない場合もあるなど、様々な問題も抱えているのです。

 

あるいは学力や運動能力による競い合いの中で、挫折したり劣等感に苛まれたりして、自信を喪失する子供たちもいるでしょう。

 

そうした問題を抱えているのに、親や先生、友達など、誰にも相談できなかったり、解決できない生徒なんて、いくらでもいるのです。(かく言う僕もそうでした。)

 

なので、学校には大切な役割もありますが、残念ながら完璧な機関とはいえないのです。(もっとも完璧な教育機関なんて存在しているかも謎ですが。)

 

そして、そういった理由から、学校が嫌いになる子供たちがいても、何らおかしい事ではありません

そうなると、「なぜ学校に行かないとダメなのだろう?」「学校に行きたいけど行くのが辛い」という悩みを抱き、場合によっては不登校になるのも、十分にあり得るのです。

 

学校に行けないのを責めてはいけない

そんな不登校で悩む人に対しては、政府の公式の対応としては以下の通りとなります。

文部科学省 不登校への対応について(外部リンク)

 

また、僕からは安易なアドバイスはできませんが、高校を中退した身として、1つだけお伝えしたいことがあります。

 

それは「学校に行けない事を、責めてはいけない」という事です。

自分自身を責めてもいけないし、親や先生の立場だとしても、子供を責めてはいけないと、僕は強く言いたいです。

 

もし、学校に普通に行けるのならば、そうしているはずです。

しかし、何らかの理由があって「行きたくない・行けない」のにも関わらず、それを責められたら、非常に苦痛でしかないのではないでしょうか。

 

ましてや、子供の頃なんて、たいていは学校と家以外の居場所がないのです。

それなのに、もし、学校でも家でも責められてしまえば、どちらの居場所も奪う可能性も十分ありえるでしょう。

 

そうして、居場所を失った子供たちが、必ず別の逃げ場を見つけ出せるとは限らないのです。

 

そうならない為には、責めるのではなく「助け合う姿勢」が重要になると僕は思います。

子供なら親に助けを求め、親なら先生や公共団体に相談する事。

 

「助けを求めること」は、決して悪いことでも恥ずかしいことではないのです。

助けを求めるという事は、自分が困っているという意思を相手に伝えることです。

 

もちろん、相手によってはすんなり理解してくれないところでもあります。

それでも声を上げ続け、自分の意思を様々な場所に伝える事が何よりも重要なのだと僕は考えているのです。

 

そして、大人の義務は、そんな子供たちを守ることにほかなりません。

 

学校に行かないとどうなるのか?

では、以上を踏まえたうえで、さらに考えてみましょう。

 

それは、もし子供が「学校に行かない!」という決断をし、本当に学校に行かなかった場合です。

ある程度の理解がある親や先生ならば、「行かなくていいよ」と、尊重してくれるかもしれません。

 

もちろん、その言葉には、優しさありますが、残酷さも潜んでいます。

 

仮に、学校に行かずして中卒の学歴は手に入れたとしても、問題は高校に進学しなかった場合です。

 

その際、残念ながらデメリットが1つあります。

 

それは「就職口が限られる」という事です。

 

僕は学歴が全てではないと思っていますが、もし「あの企業で働きたい!」とか「あの仕事に就きたい!」と思っても、学歴によっては書類選考すら不可能、という事も普通にありえるのです。

実際に、ハローワークに行っても、応募条件が「高卒以上」であることは多々ありますし、あるいは、資格や免許を取ろうにも、学歴が必要になる事もあるのです。

 

よって、中卒である事は非常に就職に不利でもあるので、もし本当に学校に行かなければ、その点の覚悟は必要となると言えるのです。

 

ただし、もし、そんな事態を回避するならば、通信制や夜間定時制の学校に入る、という選択が視野に入ります。

全日制の学校に馴染めなくても、通信制ならば自分のペースで勉強することが可能となるのです。

 

実は僕も、全日制高校中退後は、通信制の高校に通ってました。

その生徒の中には大学に進学したりする人もいたので、その人の状況によってはいろいろやりようがあるのだと感じました。

 

とはいえ、その点の問題は金銭的な負担や人生にも大きな影響を与えるデリケートな話でもありますし、その人の状況によっても異なるので、「どうするのが最善なのか」の答えは分かりません。

あくまで「選択肢の1つ」として挙げさせていただきました。

 

就職以外の生き方について

もちろん、学歴不問な職業もたくさんありますし、仕事も選ばなければ就くことは出来ます

例えばスポーツ選手や芸能人や、漫画家や芸術家やプロゲーマー、Youtuber、フリーランス、起業家など、己の才覚で生きる術があるならば、学歴なんてほぼ関係といえます。

 

それに、学歴なんてなくても、懸命に生きようとする人だって世の中にはいるのです。

 

そういう人ならば、就職せずに会社に頼らない生き方も場合によっては可能かもしれません。

僕は、悪いことをしない限り、何が何でも生きようとする事が、人生で何よりも大切だと思っているのです。

 

学校に行くよりも大事なこと?

さて、以上をまとめると「学校に行く事」は「効率よく学べる」という事と、「就職先が広がる」と言うメリットがあります。

ただし、「学校に行かない」と選択した場合は、就職先が限られる事でもあり、その覚悟はある程度必要となるのです。

 

とはいえ、学校に行こうが行くまいが、重要なのは「自分で決める事」にあると思います

 

例えばもし、自分が学校を辞めるかどうかで悩んでいて、他人に相談したとします。

その際、もし他人から「学校に行け!」、あるいは「学校なんて行く必要はない」などと言ったとしても、結局それは他人が勝手に言っている無責任な発言ではないでしょうか。

 

それもそのはずで、「行け!」と言われたから行こうものなら、「学校に行く事が目的」となり、「学ぶことが目的」ではなくなるからです。

 

また、仮に「勉強しろ!」と言われてやったとしても、同じ事がいえます。

「自ら学ぶ」という主体性が失われ、何のために勉強しているのか分からなくなってしまうでしょう。

 

また、もし「学校なんて行かなくてもいいよ!」と言うアドバイスを聞いて、本当にその通りにしたら、その後の人生の責任はだれが持つのでしょうか?

親や友人が優しい言葉を言ってくれたとしても、就職先を用意してくれるとは限らないのです。

 

つまり、自分の人生を決めるうえで、自分で何かを選択するという事は、「他人任せではいけない」のです。

ですので、他人の意見をすぐ鵜呑みにするのではなく、大切なのは「自分はどう思うか」「自分はどうしたいか」という事に尽きるのでないでしょうか。

 

そうした「自分で選ぶ」という事は、今後の人生でも迫られることがあり、そこで「決断」が出来れば、大人への一歩につながる事になるはずです。

 

ただし、そうした決断をするには、やはり「学び」が必要だと思います。

 

なにも学校で学ぶことだけではなく、自分が読んだ本や、人から聞いた話など、影響を受けることはたくさんあると思います。

 

自分の人生を決めるということは、少なからず、過去の経験や、自分が何かを感じてきたことがヒントになると思います。

 

それをヒントにしていると、おのずと答えが見えてくることもあるのです。

 

もし、それでも答えが出なければ、答えを出すために学ぶ、というのも1つの方法だと思います。

 

人生は、実際にやってみなければ分からない事が多いので、あえて挑戦してから顧みるというのも、1つの勉強ではないでしょうか。

 

ですので、僕は学校に行くかどうかよりも「何を学んだか」「何を学びたいか」が、いつの時代も大切なことではないかと思っています。

 

学校に行かないとどうなるのか 最後に

さて、以上で今回のお話はおしまいとなります。

 

「学校に行く理由」というのは、「学ぶため」にあるのでしょうが、その学びというのは、人それぞれだとは思います。

それゆえに、誰もがみんな、優等生になることなんてできないのです。

 

それに、仮に学校が嫌いになったとしても、「学ぶ機会」はたくさんあります。

その学ぶ機会こそが、成長したり、自分の人生を決めるためのチャンスにもなるでしょう。

 

そして、自分の「好きなこと」や「興味のあること」というのは、まさに「学びの宝庫」だと思っています。

そこから学んだことは、今後の人生で決して裏切らないと、僕は思っています。

 

というわけで、読んでいただきありがとうございました。

 

ちなみに今回少し触れた「学歴」についても記事を書いています。

 

学歴社会に対し、どう向き合っていけばいいのかというヒントになれば幸いです。

学歴の意味を考える