ひきこもり先生から考える「学校の気持ち悪さ」の正体

ひきこもり先生2
  1. 佐藤二朗氏主演のドラマ、「ひきこもり先生」。

このドラマには、美しさと残酷さの2つの面が克明に描かれていて、考えさせられるシーンが多くありました。

 

そこで僕が特に気になったのは、不登校生徒の台詞である「学校が気持ち悪い」という印象深い言葉です。

僕も学校に対し「気持ち悪さ」を感じる側の人間でしたが、当時はそれを言葉にすることはできませんでした。

 

では、この気持ち悪さとは一体何なのでしょうか?

そこで、今回はドラマに少し触れつつ、学校における「気持ち悪さの正体」を改めて考えていきたいと思います。

 

気持ち悪い原因は何か?

僕は、「組織の在り方に問題があるから、それが気持ち悪さにつながるのではないか」という仮説を立てました。

組織というのは、例えば、学校もそうですが、企業や宗教団体、あるいは地域や国といった「人々のまとまり」の事を指します。

 

そういった組織には何かしらの「方針」や「決まり事」が存在します。

もし、その組織の方針や決まりごとの中に、何の問題もなければ悩むことはないでしょう。

例えば、「このルールに従えば良い暮らしが出来ます。」みたいな明確なルールがあれば、僕たちは疑問を持たずに生活できます。

 

ところが、現実にはそんな都合のいいルールはありません。

そして「これに従っていいのか?」という、ルールに対し疑問が生じた瞬間、このドラマの生徒たちや僕たちは気持ち悪さ、ひいては生きづらさを感じると思うのです。

 

僕たちの持つ疑問とは?

ではその疑問とは何かを見ていきます。

例えば、学校の中のルールとして「校則」があります。

 

僕の学校には面倒な校則はなかったですが、世の中には「ブラック校則」なるものが存在します。

理由が意味不明だったり、無理やり従わなければならないという謎ルールです。

そういった「意味不明のルールに従わなければならない」、というのは苦痛が伴うことがあると思います。

そんなルールがあれば、「気持ち悪い」と思う人がいても、不思議ではないですよね。

 

ただ、このドラマにはそういった分かりやすい形では描かれていません。

本当の気持ち悪さとは、そういったルールの外にある、と思うのです。

 

暗黙の了解とは何か?

では、本当の気持ち悪さとはどこにあるのでしょうか?

僕はルールそのものよりも、「暗黙の了解」こそが、気持ち悪さの正体ではないかと考えました。

 

暗黙の了解とは、「言葉にしなくても、みんな何となくわかっている状態」を指します。

例えば「ブラック校則」をみんなが「おかしい」と思っていても、誰も指摘したり、声をあげない状況が「暗黙の了解」といえるのです。

 

つまり、ブラック校則そのものよりも、「誰も指摘しない事」に問題があるのではないかと僕は考えているのです。

また、ブラック校則以外にも、暗黙の了解は多数存在していると思います。

 

例えば、

目上の人間の言う事を聞かなければいけない。

テストでは良い点を取らなければいけない。

部活や運動で努力をしなければいけない。

 

そういった暗黙の了解のおかしさに気付いてしまった時に、「あれ?なんで誰も口にしないの?」という違和感が生じてしまう、というわけです。

そして、その疑問に気付いたとしても、自分も誰にも言えないからこそ「気持ちが悪くなる」と考えられるのです。

それはちょうど、「この学校にイジメは無い」と自分に嘘をついてしまい、苦しんだ主人公・上嶋先生のように…。

 

暗黙の了解はなぜ生まれるのか?

ではなぜ暗黙の了解が生まれてしまうのでしょうか?

その原因は、組織全体の方針を決めるリーダーによるものが大きいと思います。

実際、このドラマでは「校長」という学校のリーダーがその発端となっています。

 

校長の掲げるのは「いじめゼロ、不登校ゼロ」という極端で壮大な目標です。

聞こえだけはよく、立派な目標です。

 

しかし、それはただの「隠ぺい」でしかない事が分かってきます。

ドラマにおいては、校長はいじめを防ぐこともしていなければ、不登校の生徒を直接支援しているわけではありません。

 

上嶋先生や、磯崎さん、そして、部下である教員にすべて丸投げしています。

その一方で、いじめがあれば隠ぺいする、という事をやってのけているのです。

 

しかし、大半の生徒たちは校長のやっている事を一切知りません。

その実態を知っているのは、「先生」と、「先生のお気に入りの生徒だけ」なのです。

 

そうしたトップクラスの人間が作ったルールが、暗黙の了解として学校全体にも何となく伝わっていくのです。

すると、大半の生徒たちは「なんとなくおかしい」と感じながらも、その実態が分からずモヤモヤを感じるわけです。

 

その例として、例えば、いじめられっ子・和斗と、いじめっ子・伊藤をクラス生徒の前で、無理やり握手させたシーンがありました。

2人は、和解する気なんてありませんでした。

 

しかし、担任の先生は「クラスみんなの前で握手しなければならない」という状況を作り出すわけです。

なぜなら、これが先生にとっての仕事なのですから。

また、伊藤も、先生の仲間であるため「形式上」仲良くするフリをします。

こうして、イジメはなかったことにでき、生徒たちも納得させることが出来るというわけです。

 

しかしその一方で、和斗の気持ちは全く別だったはずです。

けれど、和斗は「自分の気持ちを無視」して無理やり握手をさせられてしまいました。

それこそが「暗黙の了解」であり、見ている側としては、それが「気持ち悪さ」の正体ではないかと僕は思ったのです。

 

従わなければならない状況

そして、これはドラマに限った話でも、学校に限った話でもなく、現実でも普通にあり得る事だと思います。

例えば、僕たちは誰かしらの「リーダー」の意見を尊重し、それに従う側面があると思います。

 

「上司」「先輩」「仲間」「家族」など、様々な組織に所属していると、トップに従わざるを得ない場面が多々あるはずです。

例えば「父や母の言う事に嫌だけど従わないといけない」という事は、誰もが経験した事ではないでしょうか?

 

もちろん、僕たちは反発できる場合もありますが、「怖い相手」に対してはビビって何も言い返せない時もあると思います。

また、仲間内でも「同調圧力に屈する」という場面もあると思います。

 

そんな時は、「なぜこうしなければいけないのか?」と思いながらも、無理やり周りに合わせなければいけない、という場面は多々あるはずです。

ドラマでは、それが「いじめ」として描かれています。

「いじめなければ、自分がいじめられる」という同調圧力です。

 

和斗はかつては加害者側だったものの、イジメたくてイジメたわけではないのです。

また、不登校になった生徒も同様です。

作中の言葉を借りれば、彼らも好き好んで不登校になったわけではないのです。

不登校になった生徒たちは、決して自分のせいではなく、学校や家庭内などの暗黙の了解や同調圧力に苛まれた結果、ともいえるのです。

 

そして、このドラマの生徒たちは、その気持ちを言葉に出来ないながらも、そうした苦しみを抱いていると言えるのです。

 

家族という名の組織

さらに、このドラマでは、なにも「学校だけが悪い」としているわけではありません。

もう1つ重大な要素が「家族」です。

家族もいうならば1つの組織です。

その家族に不和があれば、それもまた「気持ち悪さ」に繋がります。

 

例えば、「子供にとってはどんな親であっても、それにすがるしかない」、という事が作中の中で語られています。

その親が子供の気持ちを無視し、踏みにじるシーンも多く、それが心の問題となっている事が描かれています。

しかし、もし子供が親に反抗したら、それこそ自分の居場所を失う事にもなります。

 

では、学校にも家にも居場所がなくなったと感じた生徒はどうなるのでしょうか?

その結果は「奈々ちゃん」を見れば分かります。

彼女がいかに悩み、いかに苦しんできたか、そして苦しんだ先にあるのは最悪の結末であることは、ドラマを視聴している方ならご存じだと思います。

 

僕が冒頭で「組織の在り方に問題がある」と書いたのは、そういう事なのです。

学校だけでなく家族、果ては「国の在り方」といった組織全体に問題があり、その結果「そのしわ寄せが来るのは子供たち」といえるのです。

 

ひきこもり先生の役割

上嶋先生は、そうした子供たちのセーフティーネットの役割を果たします。

生徒たちの気持ちに寄り添い、居場所を与える事が出来るという、唯一の存在です。

 

磯崎さんや、担任の深野先生では、それが出来なかったのです。

では、その違いは一体何だったのでしょうか?

 

その答えは、「同じ釜の飯を食う」ということわざにあると思います。

つまり、「同じ苦労・同じ悩みを経験した人」だからこそ、上嶋先生はより添えたのです。

彼は、子供たちに自分と同じような思いをさせたくない、という気持ちがあったのだと思います。

 

逆に言えば、悩める子供たちは世の中には大勢いたとしても、彼のような人でない限り、できる事はほとんどなく、無力と言ってもいいのでしょう。

僕も、無力である事に対する悔しさはありますが、大人として、自分にできる事をするほかないのだと思います。

 

最後に 僕たちにできる事

さて、以上で「学校はなぜ気持ち悪いのか」の考察はおしまいとなります。

組織の中の暗黙の了解によって、「自分を押し殺す」事で、生き辛さや気持ち悪さを生む、というのが今回の結論です。

 

大人になった今となっては、そこから解放されるためには「声をあげる」ほかないのだと思います。

ただし、力もなければ発言力のないか細い声は、声の大きい大衆にあっという間にかき消されて行くのでしょう。

そうならない為にも、知識や経験を積み、行動を変えていくという地道な作業の積み重ねが必要となると感じています。

 

また、やや広い目で見れば、僕はこの地球という組織の生き物の一員です。

しかし、地球にはトップの作ったルールはなく、僕たちは僕のルールを作って暮らしていく必要があります。

その中で、僕たちは、ただただ黙ってトップによるルールが作られているのを見ていればいいのでしょうか。

もしそれを肯定するならば、悩める子供たちを放置する事に他なりません。

そうならない為にも、僕たちは世の中の問題を考えていく必要があるのだと思いました。

 

というわけで、今回のお話はおしまいとなります。

皆様の何かしらの気づきやご参考になれば幸いです。