高校を中退して通信制の学校に入学したという体験談

僕は中学生の頃に若干不登校気味になり、その後、進学した公立の高校を辞めた経験がありました。

同じように悩まれている方の何かしらの参考に慣れればと思い、自分語りを執筆させていただきます。

 

僕が不登校気味になった理由

まずは、なぜ僕が不登校気味になったのか話から始めていきます。

小学生の頃は単純に楽しい日々を送っていました。

普通に友達もいて、授業にもついていけたし、両親との仲も良好。

 

しかし。

中学から高校にかけて、考え方が大きく変わりました。

「このまま生きていても、つまならない」と思うようになっていくのです。

 

その理由としては、まず「学校に行く意味が分からなくなった」からです。

例えば、僕は朝がとてつもなく苦手です。

それなのに無理やり早起きして、決まった時間に学校に行かないといけません。

さらに、学校では勉強や行事を無理やりさせられて、テストで良いが取れないと「バカ」という烙印を押され、優秀な人だけが褒められていきます。

 

また、部活のせいで帰りも遅くなり、好きな事をする時間も全くなし。

僕は部活でも結果を残せず、「なんのために頑張っているのか?」も分からなくなり、サボったらサボったでハブられていました。

こんな生活を楽しめと言う方が、僕は無理でした。

 

また、同時に将来への不安も抱くようになっていきました。

仮に、嫌々学校に通い続け、卒業したところで、何が待っているのでしょうか?

 

きっと死ぬまで会社に行って、帰って寝るだけで終わるような人生しか見えませんでした。

そして、僕は60歳くらいまで仕事をして年老いて、定年後にやっと自由になったと思ったら死んでいくだけです。

 

僕はそう考えた時、「人生がひどくつまらない」としか思えなくなったのです。

 

その一方で、周りのみんなは、「当たり前」のように学校に行っています。

僕としては「皆と同じで当たり前でありたい」とも思っていたので、「学校に行かなければない」とも思い込むようにしました。

 

ですので、僕は「疑問に思うこと自体がおかしいんだ」と思い、心の中で抑え込むことにしました。

 

しかし、その疑問を抑え込むことで、「当たり前にしなければならないという苦痛」へと変わっていったのです。

 

その苦痛から逃れようとした結果、僕は勉強も部活も無気力になったし、親や友達と話す事も減り、ネットの世界に逃げ込むようになりました。

 

自分を騙した結果

それでも僕は何度も「自分を騙そう」としてきました。

自分を騙して、「自分はみんなと同じだから大丈夫」と思い込もうとして、無理して人付き合いや多少の勉強もしてきました。

 

ですので、「完全な不登校」になるわけではなく、たまに午前中で帰るという、保健室登校といった感じでした。

その結果、一応、公立の高校にも何とか進学できたし、数か月程度は「当たり前の高校生活」を送る事は出来ました。

 

しかし、自分を騙している事によって、心が重くなるのも感じていました。

「なぜ勉強しなければいけないのか?」

「なぜ学校に行かなければならないのか?」

「人生は楽しい事がないのか?」

そうした疑問は大きくなるばかりで、心は重くなり、やがて耐え切れなくなった時、僕は高校に行けなくなってしまったのです。

 

自律神経失調症

さて、その間、僕は両親との間に起こった事もお話しておきます。

僕は家族の前では「いい子」を演じている気質もあったため、まさか「不登校気味」になるとは思ってもいないようでした。

というか、最初は僕をただのズル休みとしか思っていなかったようでした。(まぁズル休みといえばずる休みなのかもしれませんが…。)

なので、中学時代の僕は「学校を休みたい」と言っても、反対されてばかりでした。

 

しかし、無理やり行こうとすると、僕は吐き気を催すほどになってしまったので、そこで異変を感じたみたいでした。

その際、僕は医者に連れていかれるようになり、そこで「自律神経失調症」と診断されました。

僕はそういった「病名」を付けられたことでかなり安心しました。

親としても、「僕の事情」を少しずつ理解してくれるようになったからです。

 

実際、僕は朝が辛くなったり、友人関係のストレスもあったため、体にも不調をきたしていたのです。

 

そんなこともあって、両親は「学校も、あまり無理しなくていい」と言ってくれたので、僕はその日の体調等によって自由に登校するようになりました。

 

ただ僕としては、そんな病気よりも「人生の悩み」の方がよほど重要でしたが、打ち明ける勇気もなく、ただただ黙っていました。

両親も、まさか僕が「人生の事で悩んでいる」とは思っていなかったようでした。

 

なので、それから高校に進学したときは両親も「きっと病気を克服したんだ」と思って、安心してくれていたみたいでした。

しかし、お互いのきちんとした話し合いというのは一切ないため、根本的な解決はできず、僕は徐々に高校を休みがちになっていきました。

 

そして、僕はやがて心身共に耐えきれなくなり、「もう出席日数も足りなくなるから学校に行くのは無理だ」と、本気で両親に懇願したのです。

 

高校を中退した時に思った事

ありがたかったのは、高校を辞める事は両親としても、仕方ない事だと受け入れてくれた事でした。

自律神経失調症という病名もあり、受け入れざるを得なかったのかもしれません。

 

こうして僕は、「高校というしがらみ」から解放されたのです。

 

ところが。

 

その後、僕は人生で初めて味わう「かつてない不安」に襲われたのでした。

 

さらに深まる将来への絶望

「人生はつまらない」

高校を辞めるまで、そう思っていた僕。

 

けれど、それはあくまで「僕の思い描いていた将来」が来ることが前提でした。

先ほどにも挙げた「会社に行って、帰って寝るだけで終わるような人生」です。

 

しかし、いざ高校をやめてみると、「その将来すら来ない」という絶望を抱いたのです。

このままでは僕の最終学歴は中卒となります。

また、体調面もあって、一般的な会社で働く事も出来なければ、このまま生きていけるかも分からなくなったのです。

 

この時、僕は「1人では何もできない」という無力感と絶望感を生まれて初めて味わったのです。

 

僕にはもう「将来」も、「これから」も考えられなくなったのです。

 

初めて見えてきた現実

高校中退後の僕に残されたのは、だだの「時間」だけでした。

しかも、何をするわけでもなく、ただ食いつぶすだけの時間です。

そんな無為な時間を過ごす中で、1つ思ったのは、「家業を手伝う」という発想でした。

実は、僕の両親は自営業のため、僕はそこを手伝うという手段が残されていました。

 

しかし、僕がそもそも「人生がつまらない」と思ったのは、そんな自営業を営む両親の影響でもありました。

 

というのも、両親は朝から晩まで働き詰めで、「忙しい」が口癖だったのです。

それに僕は不登校になる前から、たまに学校をサボりがちだったのですが、その際、「今頑張れないと、大人になった時やってけないぞ」みたいな脅しをされました。

そして、僕はその言葉によって、「今でも大変なのに、大人になってもさらに大変なら、この人生ってなんなんだろう…?」と思うようになったのです。

 

つまり、ここまで僕は散々「人生がつまらない」と書きましたが、両親のそんな言葉からの影響もあるのです。

ですので「実家を継ぐ」という事は頭によぎったけれど、「絶対に継がない」とも思ったのです。

かといって、公立の高校に入り直したところで、僕はまた体調不良を言い訳に休むと思っていました。

 

であれば、僕に残された道は1つでした。

それは「通信制の高校に通う」という道でした。

 

通信制の高校への入学

通信制高校という存在は、何となく知っていました。

通信制高校ならば、家にいる時間も増えるし、朝が辛くても大丈夫だし、無理やり他人と関わる事もありません。

 

つまり、僕の抱えていた問題の多くが解消できるのです。

そこで嫌でも勉強すれば、きっとつまらなかったとしても「将来」につながります。

 

また、僕は今すぐ死にたくなかったので、「勉強が嫌だ」といった事はこの際関係ありませんでした。

というか「今すぐ死にたくないし、引きこもりやニートにもなりたくないから通信制学校に行くしかない」というのが本音でした。

 

ただ、具体的にどんな場所にあるのかとか、何をするのかとか、入学金はいくらなのかとか、そういった情報など全く知りませんでした。

16歳という年齢なら大人と言ってもいいかもしれませんが、僕はどうしようもない子供だったのです。

なので、僕は細々と「通信制高校に行きたい」と泣きつく事しか出来ませんでした。

 

その結果、両親もそれしか方法がないと判断したためか、大金をはたいて僕を入学させてくれたのでした。

 

通信高校で辛かったこと

というわけで、これまでが僕が「公立高校を辞めた経緯」についての話です。

人によっては「不愉快」とか「甘えてばかりでどうしようもないやつ」みたいに映るかもしれません。

自分でも思い返してみると、我ながら情けなかったなとも思います。

 

しかし、これは自分なりに人生に対して悩んだ結果でもあるのです。

その時はやはり「そうするしかなかった」のです。

 

自殺という選択肢が脳裏をよぎったこともありますが、それでも「親を悲しませたくはない」という気持ちもあったのです。

 

とはいえ、「通信制の高校」に入ったからと言って、万事解決という事にはなりませんでした。

僕は再び大きな悩みに苛まれることになったのです。

 

劣等感に苛まれるという事

通信制の高校に入った当初、僕はとてつもない劣等感に苛まれました。

中学生時代の同級生たちは、全日制の学校に入っているのですから、「自分だけ落ちこぼれた」と思うようになったからです。

 

そのため、僕は「社会不適合者」という言葉が何度も頭をよぎるようになったのです。

また、「自分は低学歴でしかない」と思うと、どうしようもない無力感が何度も押し寄せてきました。

 

それに、これまで悩んでいた「人生はつまらない」という事も解決することはなく、「ただ生かされているだけ」の状態だったのです。

 

つまり、通信制の高校に入ったからと言って、「就職への猶予期間」が先延ばしされただけであり、何の解決策にもならなかったのです。

 

悩みからの脱却について

しかし、僕は1年ほどかけて、そんな悩みから少しずつ解放されるようになっていきました。

そのきっかけとなったのは、「自分と同じような境遇の人」と出会った事です。

 

いわゆる「友達」と呼べる人と関われるようになったのです。

 

僕は、これまで「自分だけがおかしい」と思っていましたが、通信制高校では、似たような境遇の生徒が集まっていました。

その人たちもおかしいのか、といえば、そういうわけではありませんでした。

コミュニケーションも普通に取れるし、話していて普通に楽しかったのです。

 

僕は小学生時代は、気軽に友人に話しかけていたのですが、ふさぎ込んでからは、そんなことは一切ありませんでした。

しかし、この時に友人が出来たことによって、楽しかった時代に帰ってきたような気持ちになったのです。

 

久しく忘れていた「居心地の良さ」というのを感じることが出来たのです。

 

こうして友達が出来てからは、「僕はもしかして、楽しくこの学校を過ごせるんじゃないか?」と、思えるようになったのです。

 

もっとも、最初の1年目は声もかける事すらできませんでした。

自分を受け入れてもらえないんじゃないかという恐怖が常にあったからです。

 

それでも、勇気を振り絞って話しかけたのが、思えば大きな転機でした。

 

前向きなるという事

また、友人と価値観や将来の話をするうちに、やたら前向きな人が多かった事に気付きました。

僕は人生に絶望しているのに、なぜ他の人達は生き生きとしているのか、僕は不思議に思いました。

 

そこで僕は考えに考え、1つの結論を導き出しました。

僕は、結果ばかり見ていて、今を楽しもうとする努力をしていなかったという事です。

 

僕はこれまで「人生の終わり」ばかりにフォーカスし、「どうせ死ぬのに」とばかり考えていました。

だから何をやっても無気力だったし、何かに熱中する事もありませんでした。

 

けれど、そんな考えでは人生が楽しいわけがないのです。

そこで思いついたのは、人生とは「自分で楽しもう」と思わなければ楽しくはならず、「楽しくなるようにする努力が必要」だったという事です。

 

通信制高校という境遇に対し、絶望しか見えなかったのは、僕が勝手に「そう思い込んでいただけ」だったのです。

そして、人生もまた、僕が「辛くて苦しくて虚しいと思い込んでいただけ」という事にも気づくきっかけとなったのです。

 

僕は何の努力をせずに「つまらない、つまらない」といって逃げていただけであり、本当に人生と向き合おうとしていなかったのです。

つまらないならば、自分で楽しい事を見つけたり挑戦する必要があったのです。

 

それに気づいてから、僕は目の前の霧が一気に晴れた気持になりました。

別に高校を辞めたって努力次第ではどうにでもなれるし、人生に絶望するくらいだったら、今何かできる事をやった方が良い、という事に気付かされたのです。

 

通信制高校 3年目を過ごして

それからは、僕の人生は大きく変わるようになりました。

人生も辛いことはあっても、自分の考え方次第ではどうとでもなるという事を、僕は経験できたからです。

 

しかし、1つだけ当時克服できなかったのは、「劣等感」でした。

ところが、その劣等感を抱き続けたおかげで、こんな風に思うようになりました。

「僕はまだまだやれる!」

「もっと上を目指すために、進学するんだ!」

と。

 

他人よりも劣っていると感じるからこそ、何とか脱却したいと強く願うようになったのです。

(それもまた「ただの独り相撲」でしかないのですが、それに気づくのはもっと後の話なのですが…。)

 

こうして僕は「進学への希望」を見出すようになったのです。

 

通信制高校からの卒業後の話

ただし、劣等感は大きく災いする面もあり、「やたら大きな目標」とか「高い理想」ばかり追うよう事もありました。

 

高い理想を目指して「実現困難」なことを知るたびに、何度も挫折を味わっていました。

最初は大学への進学を希望しましたが、自分の実力では到底無理だという事に気づくのに、時間はそうかかりませんでした。

 

それでも何とか進学したいと思った僕が思いついたのは、専門学校でした。

自分の実力でもなんとか入れそうなところを探し、安定した職へつければいい、というのが当面の目標でした。

 

運よく、近くに手ごろな専門学校もあり、僕はそこに入学する事が出来たのです。

こうして、「絶望しかない人生」から少しずつ希望がもてるようになっていくのでした。

 

専門学校を出た後の生活

その後、専門学校を経て、自信がついたおかげか何とか就職もできました。

とはいえ、就職活動も大変でしたし、勉強をやや怠ったことも災いし、「仕事を選ぶ余裕」というものはありませんでした。

また、「自分に出来そうな仕事」というのも「事務職」くらいしかなかったのですが、「男は基本的に営業というのが常識だ」とかなんとか言われました。

そのため、卒業後も2年ほどバイトをしながら就活を行うという生活を送っていました。

 

その結果、ようやく就職も出来たものの、やはり「社会人は向いていない」と思った僕は、あまり長続きはしませんでした。

 

結局僕は「社会不適合者でもいいや」と開き直り、「自分の生き方」を模索することとなったのです。

その道のりも、かなり厳しいものではありましたが、「ブログで飯を食う」みたいな夢物語を抱くようになりました。

 

ところが、運が良かったのか、それが多少なりともそれが実現してしまい、不安定ながらもこうしてブログを書くなどをしてお金を得る生活をしています。

おかげさまでアラサーとなり、新しい家族も出来て、それなりの生活は営めるようにはなりました。

 

また、あれほど嫌だった家業も手伝うようになってしまいましたが、結局は廃業となるなど、色んなことがありました。

ただ、それを書くと長くなるので、別の記事で…。

 

おわりに

さて、人生は自分の「考え方」次第でどうこうなるものというのは、高校時代に学んだことであり、大人になっても非常に役立ついい経験となっています。

このブログのタイトル「マインドゲーム」も、そういう意味からでもあるのです。

(本当は、僕が最も好きな映画のタイトルをパクっただけですが。)

 

それと、僕のように悩まれている方もいらっしゃるかもしれませんが、結局、あれこれ悩んだところで、なるようにしかなりません

しかし、そもそも「なるようにする」という意思が必要だという事を、当時の僕は知らなかったのです。

何も行動を起こさないまま悩むよりかは「失敗してもいいからやってみる」だけでも前進するのですから。

 

そして、「自分の狭い思い込み」に囚われず、「新しい価値観」をどんどん取り入れて、自分の中で消化していくことが、に何よりだと思います。

 

そういう事に気づくきっかけとなったので、僕は通信制高校に入学させていただいて、両親に対して本当にありがたいと思っております。

 

しかし、僕は1人の力ではこうはならなかったでしょう。

最後になりますが、両親を恨んでいたのも、せいぜい学生までの話で、たくさんの援助をしていただいた事に感謝しています。

両親を始め、先生にもアドバイスをしていただいたり、特に友人との関りなど、様々な人たちのおかげでこうしていられています。

 

というわけで、今回はここまでです。

もしも、僕と同じように人生で悩まれている方のご参考になれば幸いです。