有料noteでよく見かける「コーヒー1杯分の値段」という宣伝文句について考える

コーヒー

僕は、以前noteを利用していましたが、その時から気になっていた文言があります。

それは「コーヒー1杯分の値段です」というフレーズです。

 

1記事500円で販売されている人がよく使う、お決まりの宣伝文句です。

 

そして、僕はそれを見て思うのです。

 

「この人は、コーヒー1杯にどれだけの労力が掛かっているのかを、考えたことがあるのだろうか」と。

 

今回は、そんな宣伝文句を安易に使う人へのアンチテーゼを書かせていただきます。

 

コーヒー1杯の価値とは?

そもそもコーヒー1杯分の値段は高いのでしょうか?

 

値段に対し、高いとか安いとか感じるのは、正直「買い手」の問題になります。

あくまで「値段」は店側で決める問題であって、その「価値」は人によって異なるからです。

 

つまり、noteとコーヒーが共通するのはあくまで「500円」という値段であり、その価値については人によって異なる、という事です。

 

では、noteとコーヒーにおける「値段」と「価値」の比較によって、何が得られるのかを、それぞれ考えていきたいと思います。

 

異業種同士の値段の比較は無意味

まず、全く異なる商品の値段を比べることに意味はあるのでしょうか?

 

一般企業では「異業種同士の値段の比較」をすることは、まずありません

 

例えば、高級時計を扱う店が「なんとあの高級車と同じ値段なんです!」など宣伝することはありえないでしょう。

なぜかと言えば、そもそも売っているものが違うので、比較しても意味がないからです。

 

簡単に言えば、小学生が言う「うまい棒何本分」みたいな換算方法になるのです。

 

「有料noteが500円なら、コーヒー1杯分、うまい棒でいえば50本分!」と言われても、「で、結局それって安いの?高いの?」という話になり、意味をなさないのです。

 

その一方で、同業他社同士で競争するために比較するのは分かります

同じものを売っているのであれば、その品質や価格やサービスで競争することになるからです。

(とはいえ、不正競争防止法により、露骨に他社商品と比較することはありえませんが。)

 

ですので、同業者間での値段の比較は有効でも、異業種同士が商品の値段を比較しても、何がしたいのか分からないのです。

 

売り手が価値を決めるのはおかしい

値段の比較は無意味ですが、価値を比べることはどうでしょうか?

実は、これも比べる必要のない、無意味なことだと感じます。

 

例えば、売り手が「これにはコーヒー並みの価値がありますよ!」というのは、いささか傲慢だと思います。

 

そもそも、1杯のコーヒーを500円で売るために、どれだけの企業努力があったのかを考えた人はいるのでしょうか。

遠くの国で原料を生産する人々に思いをはせてみたのでしょうか。

カフェという素敵な空間を創造する事業主、1人1人の汗水流して働くスタッフもいるでしょう。

 

それなのに、「自分の情報もコーヒー並みの価値がある!」と胸を張って言えるのでしょうか?

 

もし言えるならば、それは「自分が」価値があると思っているだけです。

買い手からすれば「コーヒーの方が価値がある」と思う人もいるのです。

 

それぞれの人には異なる価値観があり、1人の売り手が自他商品の価値を決めるのは、おかしいのです。

 

宣伝は書き方の問題

ただし、募金などの誰かの援助を求める場合は話は変わってきます。

例えば「嗜好品に使われるお金を、ほんの1日分だけ分けていただければ、他の誰かを助けることもできます」、というメッセージならそれでいいと思います。

 

それならば、「コーヒーにも価値があり、その価値で他人も救える」となり、「どちらにも価値がある」という表現になるからです。

 

一方、自分の商品を引き合いに出したら、話は別です。

自分の商品の価値≧コーヒーの価値という構図を作るからです。

 

そのnoteの内容がどれだけすごいかは知りませんが、他人を貶めることで自分を引き立てているだけに見えるのです。

 

時としてそれも正解かもしれませんが、そういうやり方で自分の物を売ろうとする人には、不信感を覚えます。

 

自信のなさの表れ?

「自分で書いた唯一無二の文章」なのであれば、自信をもって「○○円です。」とだけ言えばいいと思います。

また、宣伝するならば「誰向けに書いた」とか「想定されるメリット」など、相手のためを思った書き方をすればいいと思います。

 

そこでもし「○○と同じ値段です!」と比較対象を用意するのは、「自信のなさ」もしくは「逃げ道の確保」でしかないと感じます。

 

僕としては、「どうせコーヒー1杯だからしょうがないか」と思われたときの保険にしか見えません。

逆に「コーヒーより価値がある!」という評価をもらえば儲けもの。

 

結局、どちらに転んでもいいように書いているだけではないでしょうか。

 

しかし、そんなnoteが果たして本当に「有意義な内容」なのでしょうか?

 

自信のない、逃げ道を用意された商品を紹介されても買い手としては、「ああ、noteを売りたいだけの、ただの常套句なんだな」としか思えないです。

 

そんなオリジナリティのない宣伝文句が永遠に使われるようでは、その内容もお察しされると思います。

 

コーヒー1杯分の値段について  おわりに

さて、僕が問題だと思うのは、有料noteの内容うんぬんというよりも、その「宣伝方法」なのです。

別に、誰が何を売ろうが自由ですし、有料noteの内容に対し、文句を垂れているわけではないのです。

 

僕が言いたいのは、そうやって「安く見せかける」ために、「○○と同等あるいはそれ以上の価値がある」と宣伝するのは、インチキ臭いという事です。

 

立場を変えれば、「ただの文字の羅列と同じ値段でコーヒーが飲めます!」と言っているのと同じことにもなります。

 

その価値を決めるのは、自分ではないのです。

 

売る時の値段が分からないなら、まずは同業他社との比較から始めるのが正解だと思います。

そして、「自分の文章には価値がある!」と思うならば、やはり「コーヒー1杯」という文言はふさわしくないでしょう。

 

少しでもプライドがあるならば、異業種の商品と比べることなく、ぜひオリジナリティのある宣伝文句を使い、「私のnoteは○○円です」と言い切って欲しいと願います。

 

比べるのは異業種のコーヒーではなく、「他人の有料note」なのですから。

 

というわけで、僕が訴えたいことは、以上でおしまいとなります。