何となく仕事を辞めたいと考える人が、今一度考えたい事 -何のために働くのか

仕事辞めたい

いきなりですが、仕事とは何でしょうか?

「仕事をするのは当たり前の事」といえばそれまでですが、分からないまま社会に出ている人も少なくないのでしょうか?

そうしているうちに、今の仕事に疑問を持ち、何となく辞めてもいいんじゃないか…なんて考える事もあると思います。

しかし、そこで本当に「何となく」で仕事を辞めていいのでしょうか?

もし、仕事を辞めた先には、何があるのでしょうか?

今回は、そんな仕事をテーマにお話ししたいと思います。

なぜ働く必要があるのか?

さて、そもそもなぜ働く必要があるのかと言えば、お金を貰って使うためです。

もしお金が貰えなかったらどうなるでしょう?

それはつまり、他人からの商品やサービスを得られなくなる、という事です。

例えば、僕にはモノづくりの技術もないし、農業や工事や、プログラミングも出来ません。

 

むしろ僕が出来ること何てほんの微々たるもので、無力に近いかもしれません。

けれど、どこかの誰かがそういった技術を使いこなして、何らかの価値を提供しているわけです。

そうして、それぞれの人たちが、それぞれ違う価値を生み出し、それらを売り合う事で、生活が成り立っているのです。

その際もし、僕だけが何もせずに価値を享受できるのかといえば、そんなムシの良い話はありません。

僕も何か役に立つ事をしない事には、価値を享受することは出来ないのです。

だから僕も働くことによって、ようやくお金を受け取ることができ、モノを買う事ができるというわけです。

 

裏を返せば、働かないという生き方があるのならば、他人に頼らないという生き方だけなのです。

けれど、それは電気も水道も食糧も保証される事はない生き方でもあります。

それが嫌だから、僕たちは今日も仕事をする、という事なんですね。

では、じゃあ、なぜ僕たちは仕事をする上で会社に勤めるのでしょうか

次はそれを考えていきましょう。

 

なぜ会社で働くのか?

さて、僕はお金を得るため、何か価値あるものを生み出す必要があります。

でも、先ほども言った通り、僕は無力なのに、いざ働こうにも果たして何を生み出せるというのでしょうか

僕は技術もアイディアもなければ、人脈もないので、途方に暮れるのが関の山です。

お金を稼ぎたくても、先立つものがなければ、何にもならないのです。

そして、何にも出来なければ、僕は生きていけません…。

 

ところが、そんな僕を救う存在があります。

それが「会社」です。

会社では、すでに商品・サービスを生み出しているばかりか、顧客も存在しています。

もし、その会社で人員が不足していれば、僕がその社員になる事で、ようやくお金をもらうことが出来る、というわけです。

社員として、会社の目的を共に果たす代わりに、その見返りとして対価を貰うことが出来るのです。

(もちろん、対価をもらうだけに値する働きはしないといけない、というプレッシャーはあるわけですが…。)

というわけで、僕は1人では何もできないけれど、会社が雇ってくれることによって、仕事が出来る、というわけですね。

もちろん、僕だけに限らず、大抵の人たちはそうやって会社に就職し、これまで働いてきたのだと思います。

 

サラリーマン人生に抱く不安

けれど、いざ会社に勤めても、将来が不安だったり、向いていないんじゃないか、なんて考えてしまう事も多々あると思います。

「自分はこの会社にいていいのだろうか」、「ずっとこの会社に勤め続けていくのだろうか」といったような。

 

中には、その疑問で頭をもたげてしまい、やがて耐えきれなくなり、今の会社を辞めて、他の道を模索する人もいるかもしれません。

もちろん、低賃金やサービス残業当然のブラック企業だったり、パワハラが横行するような企業であれば、転職も視野に入ると思います。

あるいは、不当な扱いからの解放とか、もっと高い給料を得るため転職するのも悪くはないと思います。

しかし、そうではなく、例えば漠然とした不安であったり、このままでいいのだろうか、という何となくで今の会社を辞めようとしている人には注意が必要です。

 

なぜなら、世の中にはとか「やめた方が良いよ」とか「仕事はオワコン」とか「すぐに転職をしましょう!」などという甘言が山ほど存在するからです。

僕は、そういった無責任な発言が恐ろしいと感じています。

 

なぜなら、「仕事を辞めた方がいい」などと言われたとしても、その人が無職になった自分の生活を保証してくれるかは限らないからです。

もし、それが親ならある程度の生活の面倒を見てくれるかもしれませんが、恐らくまた新たな就職を望むでしょう。

しかし、「新しい就職先を用意してあるよ」と言ってくれる人はほぼいないのです。

 

会社に勤めると言うのは、一生を左右するような重大な事です。

重大なことだからこそ、自分で決める事が出来ないと、不幸な事にもなりかねないのです。

 

不安はなくならない

確かにふとした拍子に、「なぜ自分はこの仕事をしているんだろう」などと、今の自分を見失ってしまう事もあると思います。

けれど、それは確実に自分だけが進んで選び取った道であり、それは自分にしか歩めないものです。

それなのに、「もし、他の道があったら・・・」などと考えてしまうと、きりがないのです。

 

それでも本当に、どうしてもやってみたいことがあるならば、チャレンジする価値はあると思います。

けれど、そこまででなく、なんとなくだけの不安であるならば、それは大きな問題ではないはずです。

結局、「不安」と言うのはどんな道を進んでも解消されることはないからです。

病気やケガ、災害や不況のように、自分ではどうしようも出来ない事はいくらでもあり、それに対する不安を消す事は一生できないのです。

 

だから、もし違う道を選んでいたとしても、そこにはまたその時々の不安が付きまとうだけなのです。

僕たちにできるのは、そういった不安を消す事ではなく、不安と共に生きることだけなのです。

 

他の会社に勤めたとしても

それに、「人の役に立って利益を得る」という意味では、どこに勤めても同じ事です。

たとえそれが大企業だろうが、中小企業だろうが、です。

もちろん、その商品やサービスががより多くの人間に普及しているかとか、賃金が高いとかどうかの差はあります。

 

しかし、結局のところ、誰かしらの役に立っている事に、変わりはないのです。

誰の役にも立たない物事に、仕事は生まれないからです。

また、たまに「仕事にやりがいがない」とか、「好きな事がしたい」とか言う人もいますが、結局「人の役に立つ」と言うのが仕事の本分です。

それなのに、人の役に立つことにやりがいが感じられないのなら、どの仕事をやってもやりがいが見つけられるかは疑問なのです。

逆に言えば、今の仕事でも十分やりがいを見出す事は可能、という事です。

 

隣の芝生は青く見える?

また、時には働きたくない、仕事をしたくない、なんてこともあるでしょう。

例えば、人間関係、労働環境、労働時間、賃金などに、何らかの不満があれば、なおのことだと思います。

ましてや、昨今はブロガーやYoutuberなどの広告収入を得る人や、フリーランス、ノマドワーカーといった、新しい働き方が増え始めてきました。

なので、従来のサラリーマンのように、会社に長時間拘束されるという生活に、疑問を持つ人も少なくはないと思います。

早起きして会社に行き、夜は遅くに帰る・・・、なんて生活を続けていると、場所を選ばずに働ける仕事に憧れを抱く事もあると思います。

 

けれど、どんな仕事も決して「楽」であることはありませんし、必ずしも「好き」だけで仕事が成り立つとは限らないのです。

先ほども書いた通り、すべての仕事は「人の為」に行われている事だからです。

例えばブロガーには「読みたい」と思わせる文章力が必要ですし、Youtuberも、どうやったらより多くの人の注目を集め、飽きさせないかを日夜研究し、実行しているわけです。

さらに彼らは強力なライバルたちと戦ったり、あるいは協力するなど、数々の戦略も練ってきたという実績も積んでいるのです。

なので、もし軽い気持ちで「自分も参入してみよう」、などと思っても、痛い目を見るだけなのです。

 

よって、どんな働き方にしろ、それを楽しめるかどうかは、結局本人次第であり、裏を返せばサラリーマンでも仕事の楽しさは感じられるはずなのです。

仮に、家で仕事をしたとしても、気が散ったり、誘惑も多く、集中するのも大変なこともあります。

かといって、場所を変えて喫茶店などに赴いたりしたところで、それは職場に通う事と何が違うのでしょうか?

結局、僕たちは仕事から逃げることは出来ないのです。

 

チャレンジすることも大切

もちろん、新しい事を始めるなとは言っていません。

会社員でありながらも、副業、あるいは複業といった形で、チャレンジできることもあるからです。

先ほどにも挙げたYoutubeやブログにおいても、休みの日を使えば作成が出来ない事もありません。

また、休憩時間や余暇などに勉強して新たな知識やスキルを身に着けることも出来ます。

 

ですので、どうしても仕事を辞めたいのであれば、会社員として安定的な収入を得ながらも、アイディア、人脈、技術を築き、虎視眈々と準備をするのが得策という事です。

もし、そういった準備をせずに「今から独立する!」というのは絵に描いた餅に過ぎないのです。

 

また、仕事はどうしてもつまらないものと割り切り、その代わりに休日の趣味に没頭する、という生き方も出来ますし、それも1つの生き方です。

 

大事なのは、自分のライフスタイルがこれでいいのだと納得できるかどうか、というわけです。

 

自分がどうしたいか分からない人へ

さて、こうして色んな道を提示されると、「自分がどうしたいか分からない」と思われる方もいらっしゃったかと思います。

 

そういう方は、「これから」ではなく、「今は」どうしたいか、という事を考えるのが近道です。

将来の事、ましてや明日どうなるかなんて事は、だれにも分かりません。

今の会社に不安があって転職したとしても、転職先が安全という保証は全くないのです。

だからこそ、僕たちは「今」の自分が「今」の仕事について考えるだけしか出来ないのです。

その際、今の仕事に不安しかなく、まったく楽しくないし、全然生活が出来ない・・・、なんてことはないと思います。

そうだとしたら大問題ですが、現状で何とかやっていけそうなら、それで十分ではないでしょうか?

 

それでやっていけそうなら続ければいいし、そうでなければ、やめて新たな道を探す、答えはそれだけなのです。

 

なんのために働くのか まとめ

自分の人生を決めるのは、他でもない自分です。

仕事をやめたとしても、それは自由です。

しかし、その自由の代償となるのは「無職という責任」なのです。

けれど、その責任を自分一人で背負うのが怖いからこそ、僕たちは他人のアドバイスを頼り、あわよくば「自分の責任じゃない!」と逃げようとすることがあります。

 

けれど、いくら責任逃れしようとしても、結局苦しむのは自分自身なのです。

 

本当は誰かに後押しして欲しいという人もいるかもしれませが、それを待っているという事は、もう自分の中で答えは決まっているはずです。

であれば、「自分で決めた!」とハッキリ宣言するしかないのです。

 

仮に何度も転職を繰り返しても、「仕事をしたい」という意思がある限り、誰も止める事は出来ないのですから。

 

ちなみに僕も仕事は2回辞めてますが、辞めると決めたら、準備に取り掛かり、次の手を考え、現在も挑戦中、といったところです。

最後になりますが、「人生は楽しんだもん勝ち」というのは、僕自身へのアドバイスとしてここに記しておきたいと思います。

 

読んでいただき、ありがとうございました。